ナンセンス作家であるお父さんの中村正常さんに、雑誌社のアルバイトを紹介してもらうと、作家で編集長格の吉行淳之介さん(当時26歳)と顔合わせをした途端、一目惚れしたという、中村メイコ(なかむら めいこ)さんは、その後、吉行さんとは初デートをするも、ずっとプラトニックな関係だったといいます。

「中村メイコは若い頃に吉行淳之介に一目惚れしていた!」からの続き

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吉行淳之介にネックレスを外してほしいと言われるも拒否していた

吉行さんとの初デートでは、吉行さんに向島の料亭に連れて行ってもらったそうですが、

(広い庭に離れがいくつもあって、ししおどしの音が聴こえてくる情緒ある料亭だったそうです)

吉行さんに、

(中村さんのつけているネックレスを見て)その、さらし鯨みたいな首飾りを取ってくれないか

と、言われたそうで、

中村さんは、憧れの人との初デートだったため、気合を入れてオシャレしており、そのネックレスも、お母さんにおねだりして買ってもらった、大柄に花が描かれている高価なもので、とても気に入っていたものだったため、「さらし鯨」と言われて気を悪くし、

どうしてですか

と、尋ねたそうですが、

吉行さんには、

首筋のホクロが見えない

と、言われたそうで、

中村さんは、「そう言われても・・・・」と戸惑いつつ、

でも、気に入っていますから、取りたくないです

と、断ったのだそうです。

「ネックレスを外してほしい」と言われた理由を知り少し後悔していた

ただ、ずっと後に、吉行さんからは、

断られて、よかったよ。あのとき、素直に外してくれたら・・・。 男が首筋のホクロを見たいと言うのは、そのホクロに口づけをしたいとか、そのホクロの上までいって接吻したいという意味だからね。君は全然それに気づかなかった

と、言われたそうで、

中村さんは、それを聞いて、吉行さんと男女の関係になれなかったことに、惜しいような、良かったような、複雑な気持ちになり、その気持は今でもずっと残っているそうです。

(吉行さんは、この時のことを、長編小説「男と女の子」で描写しているそうですが、この小説に登場する女の子はヌードモデル志望で、中村さんがモデルになっているわけではないそうです)

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結婚後も吉行淳之介とは年に1度プラトニックなデートをしていた

ちなみに、吉行さんとは、その後も交流が続き、中村さんが1957年に、作曲家の神津善行さんと結婚してからも、年に1回おしゃべりするだけのプラトニックなデートをしていたそうで、

年に一度、丸の内の東京会館で行われる中央公論社の文学賞の授賞式の後、「指先をこうやったら地下のバー、こうやったら二階のラウンジ」というように合図を決めていたことから、中村さんが、人混みの中、吉行さんの姿を探し、目が合うと、その合図を確認して、スーッと抜け出して、吉行さんと会い、1時間ほどおしゃべりをしたのだそうです。

(吉行さんは、中央公論社の文学賞の審査委員を務めており、中村さんのお父さん宛に招待状が届いていたそうですが、お父さんが、「もう僕はとうに引退しましたから、招待状は娘の名前にしてください」と言ったことから、中村さんが招待されるようになったのだそうです)

「中村メイコは吉行淳之介の「闇の中の祝祭」で恐ろしさを覚えていた!」に続く

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