国立音楽大学卒業後、音楽活動を始めると、映画音楽を中心に、歌謡曲や吹奏楽曲なども数多く作曲している、神津善行(こうづ よしゆき)さん。今回は、そんな神津さんの経歴と東洋の古典楽器を演奏するグループ「六華仙」を結成した経緯などをご紹介します。

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年齢は?出身は?身長は?本名は?

神津さんは、1932年1月2日生まれ、
東京府(現・東京都)の出身、

学歴は、
麻布学園 麻布中学・麻布高等学校
⇒国立音楽大学器楽科卒業

(作曲やトランペットを中心に学び、作曲は信時潔さんに、トランペットは中山冨士雄さんに師事したそうです)

本名は「神津充吉」で、7(9)人兄弟の末っ子(四男)だそうです。

(お父さんは中学1年生の時に他界されたそうです)

「神津牧場」との関係は?

群馬県甘楽郡下仁田町には、「神津牧場」という神津さんと同じ名前の牧場があり、この牧場は、1887年、長野県志賀村(現・佐久市)の豪農の息子・神津邦太郎さんにより開設されているのですが(日本で一番古い牧場だそうです)、実は、神津さんの祖先も佐久市出身だそうで、神津さんと神津邦太郎さんは遠い親戚関係にあるそうです。

ちなみに、神津一族は、古くから、分割相続しながら、佐久市一帯を勢力下として栄えてきた、佐久市を地盤とする大地主だそうで(信州有数の豪農・名家だそうです)、そのため、佐久市には、「神津」という名前が数多く存在するのだそうです。

作曲のほか「植物と音との関係」の研究も

さておき、神津さんは、国立音楽大学器楽科卒業後、作曲家として活動を始めると、主に、映画音楽を中心に、歌謡曲、吹奏楽曲など、幅広いジャンルの楽曲を作曲するほか、

「植物とのコミュニケーションは果たして可能か」というテーマで、早稲田大学理工学部の特別研究員として、約20年の歳月をかけて、「植物と音との関係」(植物発信音)の研究も行っていたそうで、1998年には、その研究の成果をまとめた著書「植物と話がしたい:自然と音の不思議な世界」を出版しています。


植物と話がしたい:自然と音の不思議な世界

古楽器演奏グループ「六華仙」を結成

そんな神津さんは、1992年には、東洋の楽器復興のため、古楽器を演奏する女性ばかりのグループ「六華仙」を結成すると、

(結成当時は6名だったため、この名前がつけられたそうですが、その後、メンバーの出入りがあり、2010年時点では、倍以上の13名いたそうです。)

東洋の古典楽器(箏・琵琶・二胡・中国箏・揚琴)と、マリンバ・ピアノ・ヴァイオリン・ハープ、コルネットなどの西洋の古典楽器とのアンサンブルで、クラシック、ジャズ、民謡、歌謡曲など、様々な楽曲を演奏しているそうで、コンサートに足を運んだお客さんからは、独特の音色に癒やされると好評のようです。

(「六華仙~木と楽器の音楽」「六華仙 2nd」「六華仙~ひばりメロディー」「六華仙Ⅳ」などCDもリリースしています)


六華仙Ⅳ

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先祖・神津専三郎らが西洋音楽教育を重視して日本古来の音楽が廃れていった

ちなみに、神津さんが「六華仙」を結成したのは、1980年頃、世界各地の民族音楽の調査を始めたところ、日本が自国の音楽を初等教育で教えない唯一の国であることを知って疑問を持ち、その理由を調べると、明治の中頃、音楽取調掛(おんがくとりしらべがかり)が渡米したことがきっかけで洋楽崇拝が始まり、日本古来の音楽が廃れていったことが分かったからだそうですが、

その音楽取調掛として、調査を行った人の中には、神津専三郎さん、つまり、神津さんの祖先もいたそうで、

神津さんは、コンサートのMCで

(現在、東京芸術大学創始者として奉られている)専三郎の悪口を言えるのは、私しかいない(笑)

と、発言していたこともあったそうです。

(※音楽取調掛とは、1879年(明治12)、文部省内に設けられた近代音楽と音楽教育の調査研究機関で、明治の中期に渡米すると、西洋音楽を積極的に輸入し、「東京音楽学校」(現在の東京芸術大学の前身校)を設立して、外国人教師の招聘に力を注いだそうです)

「神津善行の妻・中村メイコとの馴れ初めは?」に続く

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