敗戦の色が濃くなった1945年には、疎開先の奈良県から特攻隊の基地まで慰問団として派遣され、明日死にに行く若い特攻兵を見て、子供心にも悲しい思いをしたという、中村メイコ(なかむら めいこ)さんですが、終戦後は、今度は進駐軍の慰問に行ったといいます。

「中村メイコは子役時代に特攻隊の慰問で隊員たちを感涙させていた!」からの続き

Sponsored Link

戦争中は父親の中村正常が断筆して母親が代わりに働いていた

疎開先の奈良県から特攻隊の基地まで、慰問団として派遣されていた中村さんですが、一方、ナンセンス作家であるお父さんの中村正常さんは、戦争文学は書きたくないと、断筆していたそうで、

そんなお父さんに代わり、お母さんが、雑誌「モダン日本」や新聞の記者をするほか、喫茶店や洋裁店を営むなど、様々な仕事をして生計を支えていたそうですが、生活は楽ではなかったそうです。


「モダン日本」昭和17年8月号

(中村さんによると、お母さんは、お父さんにかなり惚れ込んでおり、書きたくないものは書かなくてもいいと許し、その代わり、自分が生計を立てると言っていたのだそうです)

質屋でお金を借りてくるシーンを母親からリアルで演技指導されていた

また、終戦後は疎開先の奈良県から東京に戻ったそうで、中村さんは、NHKラジオの仕事をしていたそうですが、

ある日、その帰り道に、突然、お母さんから、

メイコ、そろそろ大人の役もやらなきゃいけないね

と、言われたそうで、

中村さんが、なんだろうと思っていると、

あんた、質屋さんって知ってる?

と、聞かれ、

中村さんが、

質屋さん?知らないわ

と、答えると、

こういう役があったときのために、勉強をしておきましょう。あの『質』という暖簾(のれん)が掛かったところが質屋さん。

これはパパのとっておきの英国製のスーツだけど、風呂敷包みに包んであるから、これを持って、『これでいくらお金が借りられますか』って言ってごらん

そういう役もきっと来るから、いい勉強になるから

と、言われたのだそうです。

戦後は家計が苦しかったことを知らなかった

そこで、中村さんが質屋に入って言われた通りにすると、質屋はいくらかお金を貸してくれたそうですが、

お母さんには、

うん、まあまあ、それでいいけど、あんなに堂々と嬉しそうな顔をして入るものじゃないの。ちょっと周りを見回して、人様がいないときにうつむいてスッと入っていくのよ

今日はいいお勉強をしたわね

と、言われたそうで、まるで演技指導をされているようだったそうですが、

随分後になって中村さんは、うちにはお金がなかったのだと気づいたのだそうです。

(お母さんは新劇の元女優で、疎開先の奈良県では、「メイフラワー」という劇団を旗揚げしていたそうです)

終戦後は進駐軍の慰問へ行き英語の歌を歌っていた

そんな中、1949~1950年頃には、中村さんは(15~16歳頃)、江利チエミさんや雪村いづみさんと共に、今度は、GHQや進駐軍の慰問に行くことになったそうで、

カタカナで一生懸命英語の歌詞を覚えて、「gonna take a sentimental journey」などを歌ったそうですが、

少し前まで、特攻隊の慰問に行っていたのが、今度は、進駐軍の慰問に行くことになったにもかかわらず、中村さんは、戦時中から、お父さんに、「アメリカという大きな国に勝てるわけがない。 いまから負ける覚悟をしておけよ」と言われていたそうで、どんな時代になっても対応するしかないと、心の準備はできていたのだそうです。

Sponsored Link

最初に覚えた英語はNHKラジオ「英語会話教室」のテーマソング「カムカム英語の歌」

そんな中村さんが最初に覚えた英語は、NHKラジオ「英語会話教室」のテーマソング「カムカム英語の歌」で、

Come, come, everybody. How do you do, and how are you? Won’ t you have some candy, One and two and three, four, five? Let’ s all sing a happy song, Sing tra-la la la la

という、フレーズだったそうですが、

メロディは、 「しょ、しょ、しょうじょうじ」 の「証城寺の狸囃子」のメロディだったそうで、一生懸命、英語を覚えようとして覚えた歌だったため、今でも忘れられないそうです。

ちなみに、中村さんは、この頃のことを、

ものすごい時代の移り変わりを経験しました。舞台や映画、ドラマでいうと、「場面変わって」ばかり。ですから、普段の暮らしでも何があっても引きずらないのは、きっとそういうことが大きいと思います。

戦争中、戦後の経験がありますし、仕事でも「カット!このシーンはこれで終わり」と言われたら、気持ちを切り換える。割り切りでしょうか。

たくさん引越しもしました。家を建てる時はたいてい建築家の方が「奥さんとご相談するのが一番ですので」とおっしゃるんですが、「私、場面に合わせて生活しますから。 入口と出口があれば暮らせますから、とくに希望はありません」と言うんです。

と、語っています。

「中村メイコは若い頃に吉行淳之介に一目惚れしていた!」に続く

Sponsored Link