終戦後は、進駐軍の慰問に派遣され、英語の歌を一生懸命覚えたという、中村メイコ(なかむら めいこ)さんですが、その後、アルバイトに憧れ、お父さんが紹介してくれた雑誌社でアルバイトを始めると、編集長格だった作家の吉行淳之介さんに一目惚れしたといいます。

「中村メイコは終戦後は進駐軍を慰問し英語の歌を歌っていた!」からの続き

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父親の紹介で雑誌社でアルバイト

中村さんが16歳の時、”アルバイト”という言葉が流行ったそうで、その言葉の新鮮さに惹かれて、中村さんもアルバイトをすることに憧れ、ある日、ナンセンス作家であるお父さんの中村正常さんに、「アルバイトというものをしてみたい」と言ってみたそうです。

すると、お父さんは、

君には何ができるかなあ。力仕事は無理、計算もできない。君ぐらいの若い女の子が原稿を取りに行って、『先生、早く書いて』 なんて言ったら、効率がいいかもしれない。 知り合いに頼んであげるから、週に三日ぐらい、ラジオの仕事の合間にやりなさい

と、言って、雑誌社を紹介してくれたそうです。

作家の吉行淳之介に一目惚れしていた

こうして、中村さんは、お父さんが紹介してくれた、その雑誌社を訪ねて行ったそうですが・・・

作家で編集長格の吉行淳之介さん(当時26歳)と顔合わせをした途端、

うわー、なんて素敵な人だろう

と、一目惚れしたそうで、

吉行さんの書く字、字を書いている仕草、吉行さんの書くものや人柄、全部を好きになったのだそうです。

(吉行淳之介さんは、女優の吉行和子さんのお兄さん)


吉行淳之介さん。

吉行淳之介と初デート

やがて、二人は親しくなり、初デートをしたそうで、新橋駅のガード下を歩いている時、吉行さんは、突然、中村さんの手を自分のコートのポケットに入れて、そのまま歩いたそうで、

中村さんは、

わっ、どうしよう。どうしよう

と、いっぱいいっぱいの気持ちで一緒に歩いたのだそうです。

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吉行淳之介の短編小説「水の畔り」に登場する少女は中村メイコがモデル

ちなみに、吉行さんの短編小説「水の畔り」(1955)には、

ある冬の日、冗談のように彼の両手でつつみこんだ少女の片方の掌を、 乱暴に彼の外套のポケットへ投げこんだ

という、描写があるのですが、

これは、この時の中村さんがモデルになっているそうで、中村さんは、この時のことを、今でもありありと覚えているそうです。

「中村メイコは結婚後も吉行淳之介と年1回会っていた!」に続く

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