一目惚れした吉行淳之介さんとは、長い間交流を持つも、一度も男女の関係がなかったことに後悔にも似た気持ちを感じていたという、中村メイコ(なかむら めいこ)さんですが、後に、吉行淳之介さんが、妻と愛人との間で二重生活を送っていたことを知り、愛憎混じり合う本物の男女関係というものに恐怖を感じたといいます。

「中村メイコは結婚後も吉行淳之介と年1回会っていた!」からの続き

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2人の「ヨシユキ」との出会いに運命を感じていた

一目惚れだった吉行淳之介さんとは、結婚後も、年に1度会うなどプラトニックな交流が続いていたという中村メイコさんですが、

ある時、吉行淳之介さんから、

おい、メイコ。 おまえ、運がいいな。 旦那と俺の名前を間違えてもいいからな。(中村メイコさんのご主人は)神津善行だから、『ヨシユキさん』って言っても、どちらかわからない

と、言われたことがあったそうで、

(実は神津さんの本名は「充吉」 というそうですが)確かに、名前が同じということには違いなく、吉行淳之介さんにそう言われ、中村メイコさんは、二人の「ヨシユキ」さんとの出会いに運命的なものを感じたそうです。

吉行淳之介とのプラトニックな関係を後悔していた

また、吉行淳之介さんからは、

君が(ナンセンス作家の中村)正常さんの娘さんでなかったら、ボクだって結構、女好きだから、あんなふうに好きだ、好きだという態度を示されれば、何とかなっていたのかもしれないな

と、言われたこともあったそうで、

運命を感じつつも、吉行淳之介さんと何もなかったことに、やはり、惜しいという気持ちはずっとあったそうです。

(中村メイコさんのお父さんの中村正常さんと吉行淳之介さんのお父さんの吉行エイスケさんは、昭和初期の新興芸術派で、作家仲間であり、親しかったそうです)

吉行淳之介の小説「闇の中の祝祭」を読み男女間の愛憎劇に恐ろしさを感じていた

一方で、中村メイコさんは、吉行淳之介さんの長編小説「闇の中の祝祭」を読み、男女のドロドロとした愛憎劇が恐ろしくなったそうです。

というのも、その内容は、まるで吉行淳之介さんの実話のようで、奥さんと別居後、愛人と同棲生活を送るようになるも、奥さんが終生離婚に応じなかったことから、愛人とは生涯連れ添うも、結婚することができなかったという話だったというのです。

(実際、吉行淳之介さんは、24歳で結婚するも、36歳の頃、家を出て女優の宮城まり子さんと生活を始めており、妻の文枝さんは淳之介さんに、「世間では作品に出てくる女性は私のことだと思っている」と不満を述べていたといいます)

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吉行淳之介の伴侶・宮城まり子の強烈な嫉妬心に”女の業”を感じていた

ちなみに、吉行淳之介さんが1994年、70歳で亡くなった際、中村メイコさんが、吉行淳之介さんの事実上の伴侶である宮城まり子さんにお悔やみを伝えたところ、

宮城さんには、

若い頃にメイコさんが書いた手紙、淳ちゃん、残していたわ

と、言われたそうで、

それは、中村メイコさんが書いた熱烈なラブレターだったのですが、吉行淳之介さんは、小説のヒントになるから残していたのかもしれない、と思いつつも、青春時代の大切な思い出を残してくれていたことに嬉しくなり、

思わず、

本当? その手紙は残っているの?

と、聞いたそうですが、

宮城さんには、

悔しいから、焼いちゃった。 メイコさんも残ってたら、困るでしょう?

と、言われたそうで、

中村メイコさんには、(手紙が残っていて特に困るようなことは何もなく)そのような強烈な嫉妬心はなかったため、宮城さんのその言葉から、”女の業”のようなものを感じ、二人の間には、自分の理解の及ばない、吉行淳之介さんの小説の世界のような本当の男女の関係があったのだろうと思ったそうです。

(それはさておき、吉行淳之介さんが自分をモデルにした作品を残してくれたことに、とても感謝しているそうです)

「中村メイコは若い頃「田舎のバス」がヒットしていた!」に続く

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