1984年、売れっ子作曲家として多忙を極める中、売り出し中のアイドルだった菊池桃子さんの楽曲制作を担当すると、1985年には、当時のアイドルとは一線を画すアートワークを意識した楽曲で、シングルが7枚連続オリコン週間チャート1位に輝くなど、瞬く間に菊池桃子さんをトップアイドルに押し上げた、林哲司(はやし てつじ)さん。
今回は、林哲司さんの、菊池桃子さんとの出会いやエピソードのほか、菊池桃子さんに提供した代表曲(ヒット曲)などをご紹介します。
「林哲司のシティポップ「真夜中のドア」は世界中でブームを巻き起こしていた!」からの続き
林哲司と菊池桃子の出会い
林哲司さんは、都内のレコーディングスタジオで「杉山清貴&オメガトライブ」の収録を行っていた際、その現場に、まだ高校生だった菊池桃子さんが訪れ、初めて菊池桃子さんと知り合ったそうで、
林哲司さんは、菊池桃子さんの第一印象を、
制服姿の菊池桃子さんが現れたときは、正直驚きました。けなげかつ清楚な感じで「えー、これからデビュー?ちょっと芸能界には入れたくないな」と思いました。
と、語っています。
林哲司が菊池桃子に提供した2枚目のシングル「SUMMER EYES」はオリコン7位にランクイン
そんな林哲司さんは、第一印象で感じた、菊池桃子さんの”清楚でけなげな雰囲気”をそのままに歌にしようと思い、そのコンセプトのもと菊池桃子さんに楽曲を提供すると、
1984年4月にリリースされた、デビューシングル「青春のいじわる」は、オリコンチャート13位、
「青春のいじわる」
続いて7月にリリースされた2枚目のシングル「SUMMER EYES」は7位にランクインします。
「SUMMER EYES」
林哲司が菊池桃子に提供した1stアルバム「OCEAN SIDE」はオリコンチャート1位に輝く大ヒットを記録していた
そして、同年(1984年)9月にリリースしたファーストアルバム「OCEAN SIDE」は、見事、オリコンチャート1位に輝いているのですが、
林哲司さんは、サウンド同様、ジャケットも、”大学生が持っていてもおかしくないアルバムを作ろう”と考え、アイドルっぽくないアートワークを意識して制作したそうで、
『青春のいじわる』で知った彼女のウィスパーな声の魅力に、かつてアイドルがやらなかったような洋楽的なナンバーをどんどんぶつけました。
スタジオミュージシャンの演奏が始まり音が出てくる。そこで初めてスタッフたちがどういう曲なのかを知る場面もしばしば。収録曲はすべてアルバムのバランスを考えて、菊池桃子の音楽は責任をもって制作していました
と、語っています。
(アイドルのアルバムを、バッグに入れず、そのまま手に持つことは、大学生ぐらいになると抵抗を感じるところ、菊池桃子さんの「OCEAN SIDE」なら大丈夫だと思える内容、ジャケットにしようと考えたのだそうです)
林哲司が菊池桃子に提供したシングルは7作連続でオリコン1位を獲得していた
すると、その後も、菊池桃子さんの勢いは止まらず、1984年11月にリリースしたシングル「雪にかいたLOVE LETTER」が、オリコン3位を記録して、同年末の「第26回日本レコード大賞」では新人賞を受賞し、アイドルとしての人気を確立すると、
さらには、
- 「卒業-GRADUATION-」(1985年2月27日)
- 「BOYのテーマ」(1985年5月15日)
- 「もう逢えないかもしれない」(1985年9月26日)
- 「Broken Sunset」(1986年2月13日)
- 「夏色片想い」(1986年5月14日)
- 「Say Yes!」(1986年9月3日)
- 「アイドルを探せ」(1987年3月25日)
と、7作連続で、オリコンのシングルランキング1位を獲得したのでした。
林哲司は2022年に菊池桃子とコンセプト・アルバム「Shadow」をリリースしていた
そんな菊池桃子さんは、それから長い年月が経った2022年7月27日、再び、林哲司さんプロデュースによるコンセプト・アルバム「Shadow」をリリースしています。
というのも、2020年に入って、菊池桃子さんが1986年にリリースした3枚目のアルバム「ADVENTURE」(林哲司さん提供)が、世界的な再評価を得て、再ヒットしているのです。
ちなみに、この「Shadow」には、新曲2曲、インドネシアのyoutuber・レイニッチさんがカバーした「Blind Curve」などのシティポップとして国内外で再評価され注目を集めている楽曲、シングルヒット曲以外の隠れた名曲ほか、林哲司さんが自らセレクトし、最新のマスタリングを施した内容になっているとのことです。