学校栄養士として3年間勤務した後、女優に転身し、舞台を中心に活動する中、2011年、「ラビット・ホラー3D」で映画デビューすると、2013年には、NHK大河ドラマ「八重の桜」にも出演した、佐藤みゆき(さとう みゆき)さん。

そんな佐藤みゆきさんは、幼い頃から、働くお母さんに代わって家事をしたり、夏休みには、遊ぶ暇もなく、家業である農業の手伝いをしていたといいます。

また、中学卒業後の進路を考える時期になると、高校や大学には自分の稼いだお金で学費を出すように親に言われ、到底そのような大金を稼げる自信がなかったことから、将来に希望が持てず、三者面談では泣いてばかりいたといいます。

今回は、佐藤みゆきさんの生い立ち(幼少期~中学卒業まで)をご紹介します。

佐藤みゆき

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佐藤みゆきのプロフィール

佐藤みゆきさんは、1984年7月5日生まれ、
福島県田村市の出身、

身長160センチ、

血液型はB型、

学歴は、
福島県立田村高等学校
⇒会津大学短期大学部食物栄養学科卒業

趣味は、散歩、カメラ、プラモデル、ヨガ、舞台鑑賞、

特技は、料理、イラスト、バレーボール、

ちなみに、「佐藤みゆき」は本名で、

ブルガリア民謡歌手の佐藤みゆきさんは同姓同名の別人です。

佐藤みゆきは幼い頃から家業の手伝いをさせられていた

佐藤みゆきさんは、タバコの葉の栽培を家業とする農家の、長女(第一子)として誕生すると、幼い頃から、農作業で暗くなるまで働くお母さんに代わってご飯を作り、夏休みには、日中、遊ぶ暇もなく、農作業の手伝いをさせられたそうです。

ただ、ものすごく少額だったものの、夏休みは、働いた分、バイト代をくれたため、なるべく効率良くたくさん働き、お小遣いを稼ぐことを目標にしていたそうです。

ちなみに、

宿題なんかしなくていい!

が、おじいちゃん、おばあちゃんの口癖だったそうで、

宿題は、農作業の休憩時間に必死に終わらせていたそうです。

佐藤みゆきは中学時代には部活を掛け持ちしてなるべく家にいる時間を短くしていた

そんな、働くのが当たり前という家庭で育てられた佐藤みゆきさんは、(うちは違うから、と割り切っていたものの)周りの子たちが遊んでいるのが羨ましくて仕方なかったそうで、

中学生になると、部活をできるだけ掛け持ちし、夏休みもなるべく学校で過ごすなど、うちにいなくてもいいようにしていたそうです。

佐藤みゆきは中学時代は将来に希望が持てず三者面談ではいつも泣いていた

そんな佐藤みゆきさんは、中学時代は、将来のことを考えるのがとても辛く、三者面談ではいつも涙が止まらなかったといいます。

というのも、両親からは、ずっと、

高校は私立に行くなら自分で学費を払いなさい。大学は行くなら全部自分で払いなさい。

と、言われ続けていたそうで、

自分では稼げないほどの大金をどうにしかして自分で支払わなければならないことに愕然とし、将来に希望が持てなかったのだそうです。

(佐藤みゆきさんは、この頃、絵を描くことが好きで、絵の道に進みたかったそうですが、絵で食べていける自信がなかったことから、絵を描きたいと声に出して言う勇気がなかったそうです)

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佐藤みゆきは中学を卒業する時の担任の言葉に勇気をもらっていた

そんな佐藤みゆきさんは、中学校では、オール5と成績は優秀だったそうですが、夏休み返上で働いても当たり前、お姉ちゃんだから我慢して当たり前、弟妹の世話をするのも当たり前と、あらゆることが当たり前とされた家庭で、誰からも褒められることがなく、

かと言って、自分で自分を褒めてあげることもできず、そんな自分がずっと嫌いだったそうですが、

そんな中、大好きな担任の先生(28歳の熱血野球部顧問の数学の先生)が、卒業アルバムに、

あなたは、なにものにだってなれる。殻をやぶる勇気さえもてばね

と、書いてくれたそうで、

この言葉で、将来のことを決められずに泣いてしまう自分も含めて、全てを肯定してもらえた気がし、勇気さえ持てば、どんなものにもなれる可能性があるんだと思うことができたのだそうです。

「【画像】佐藤みゆき(女優)の若い頃から現在までの出演映画ドラマ舞台は?」に続く

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