1995年、24歳の時、「L⇔R」として、7枚目のシングル「KNOCKIN’ ON YOUR DOOR」がミリオンセラーとなる大ヒットを記録し、たちまち、スターダムに上り詰めた、黒沢秀樹(くろさわ ひでき)さんですが、

幼い頃から、お兄さんの黒沢健一さんや従兄弟の影響で洋楽やロックが好きになり、中学3年生の時にギターを弾くようになると、高校生の時には、都内で活動していた黒沢健一さんに呼ばれて上京し、バンド「ラギース」に加入していたといいます。

黒沢秀樹

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黒沢秀樹のプロフィール

黒沢秀樹さんは、1970年8月28日生まれ、
茨城県日立市の出身、

身長161センチ、

血液型はB型、

ちなみに、「黒沢秀樹」は本名で、

同じ「L⇔R」のメンバーだった黒沢健一さんは実兄です。

黒沢秀樹は中学3年生の時にギターを始めていた

黒沢秀樹さんは、幼い頃から、2歳年上の兄・黒沢健一さんや従兄弟の影響で洋楽やロックに親しんでいたそうで、

中学3年生の時には、ギターを始め、夢中になったそうです。

黒沢秀樹は高校生の時に兄・黒沢健一のバンド「ラギース」に加入

そんな黒沢秀樹さんは、高校生の時、都内でライブ活動をしていた兄・黒沢健一さんに、突然、東京に呼び出されたそうで、すぐに上京すると、

(黒沢秀樹さんにとってお兄さんは憧れの存在だったため)

信濃町にあったソニーの大きなスタジオに連れて行かれて、

ここのギター弾け

と言われ、黒沢健一さんのバンド「ラギース」にギターとして加入したそうですが、

実は、「ラギース」の活動はうまくいっておらず、メンバーチェンジを繰り返していたそうで、黒沢秀樹さんは、辞めたギターの後任としての加入だったそうです。

黒沢秀樹が19歳~20歳頃「ラギース」の活動はうまくいっていなかった

ただ、その後も、「ラギース」の活動はうまくいかず、デモテープをいろいろ作っても、

レコード会社には、

古い

今どきこんなのはやらない

マニアック過ぎる

など、散々な言われようだったそうです。

また、バンドのメンバーも、入っては辞めてを繰り返していたそうで、最終的には、デビューできないまま、黒沢秀樹さんと黒沢健一さんの兄弟2人だけとなってしまったそうです。

(兄の黒沢健一さんは、この頃、職業作曲家としても活動していたそうで、作曲の仕事が忙しく、いつも曲の締切に追われていたそうですが、それは、必ずしも、自分のやりたい音楽ではなかったそうです)

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黒沢秀樹は20歳頃、友人でベースの木下裕晴に誘われバンド活動を継続していた

それでも、黒沢秀樹さんと黒沢健一さんは、デモテープ作りに励んだそうですが、相変わらずバンド活動はうまくいかず、20歳前後にして、もう、人生が終わったと感じたそうで、

最後に、ポール・マッカートニーさんの東京ドーム公演を記念に観て、兄弟で田舎に帰ろうと、黒沢健一さんと話をしていたそうですが・・・

そんな中、友人の木下裕晴さん(ベース)に、バンドを一緒にやろうと強く誘われ、バンド活動を継続することにしたのだそうです。

ただ、それまで、作ったデモテープを散々に腐されていたため、

それならばと、

それを徹底的にやったるわ!

という気持ちで、やけっぱちになって、怒りや憎しみを込めて、デモテープ作りを続けたのだそうです。

(ちなみに、それらの曲は、デビューアルバム「L」や2枚目のアルバム「Lefty in the Right」に収録されているそうです)

「【画像】黒沢秀樹の若い頃はL⇔R!ソロアルバムは?現在はカウンセラーも!」に続く

お読みいただきありがとうございました

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