22歳の時、「L⇔R」として「KNOCKIN’ ON YOUR DOOR」でミリオンセラーを達成するなど、90年代のJ-POPシーンを代表するアーティストとして活躍すると、「L⇔R」解散後は、ソロ活動や多彩なユニットでの音楽活動を続けるも、2016年、48歳の若さで他界された、黒沢健一(くろさわ けんいち)さん。
今回は、黒沢健一さんの、若い頃(L⇔R時代)から他界されるまでの代表曲やアルバムほか経歴を、デビューから時系列でご紹介します。
「黒沢健一の生い立ちは?幼少期は?小学生でギター!高1で作曲していた!」からの続き
黒沢健一は高校1年生にして自身が作曲したオリジナル曲が注目を集めるようになっていた
黒沢健一さんは、高校1年生にして、バンド「ラギース」で精力的にライブ活動を展開していたそうですが、
様々なコンテストに出場する中、黒沢健一さんの作曲したオリジナル曲が注目を集めるようになったそうで、曲が聴きたいのでテープを送って欲しいとのオファーが寄せられるようになったそうです。
ただ、バンド「ラギース」としての活動はうまくいかず、メンバーチェンジを繰り返していたそうで、
辞めたギターの後任として、地元から呼び寄せた弟の黒沢秀樹さんが加入するも、大学受験などでメンバーが抜けていくと、最終的には、「ラギース」は黒沢健一さんと黒沢秀樹さんの2人だけとなったそうで、
その後、黒沢健一さんは、黒沢秀樹さんと共にデモテープ作りに勤しんだのだそうです。
ちなみに、黒沢健一さんは、この時、大学受験など将来のことは何も考えておらず、かと言って、真剣に音楽のプロになりたいとか音楽で食べて行きたいとも考えていなかったそうで、
モニターの有る所で演奏したらどういう音で聴こえるのかな
レコーディングスタジオでレコーディングしたらどういう音になるのかな
など、音楽に対する興味が尽きず、ただ楽しいから、という理由で音楽をやっていたといいます。
黒沢健一は19歳の時に島田奈美のアルバム「Curiosity」の収録曲「He Loves Her」で作曲家デビューしていた
そして、高校2年生頃には、いくつかの事務所からスカウトされるようになって、少しずつ作曲の仕事を始め、高校卒業後は、大学に進学せず、ラジオのテーマ曲などの匿名(表に名前が出ない)の仕事をするようになると、
1988年、19歳の時には、島田奈美さんのアルバム「Curiosity」の収録曲「He Loves Her」で作曲家デビューを果たしたそうで、
黒沢健一さんは、
(作曲家デビューし”就職”という形になったことについて)そうですね。だから非常に有り難かったですね。それは。
印税もあったし、給料もあったし。だから相当雰囲気的には就職した感じっていうか、フリーター的っていうよりちゃんと音楽の仕事をやっている感じが急にしましたよね。
と、語っています。
黒沢健一は22歳の時に「L⇔R」としてミニアルバム「L」でレコードデビュー
ただ、相変わらず、自身のバンド活動はうまくいかず、
最後にポール・マッカートニーの東京ドーム公演を記念に観て、田舎に帰ろう
と、弟の黒沢秀樹さんと話していたそうですが、
その矢先、友人でベースの木下裕晴さんに、バンドを一緒にやろうと強く誘われ、バンド活動を継続することにすると、
そんな中、個人的に作っていたデモテープが、高校生の頃からの知り合いだった、元「四人囃子」のメンバーで、音楽プロデューサー・岡井大二さんの耳に留まり、岡井大二さんが、ポリスターレコードのプロデューサーだった牧村憲一さんに紹介したことがきっかけとなって、
1991年、黒沢健一さんは、黒沢秀樹さん、木下裕晴さんと共に、「L⇔R」を結成し、同年11月25日には、ミニアルバム「L」でレコードデビューを果たしたのでした。
黒沢健一は23歳の時に「L⇔R」として1stシングル「LAZY GIRL/BYE BYE POPSICLE」をリリース
そして、1992年5月25日には、ファーストシングル「LAZY GIRL/BYE BYE POPSICLE」をリリースしたそうですが・・・
売上は思わしくなく、その後も、
- 1992年9月26日には、「(I WANNA)BE WITH YOU」
- 1993年6月25日には、「恋のタンブリングダウン/君に虹が降りた」
- 1993年12月20日には、「君と夏と僕のブルー・ジーン」
「君と夏と僕のブルー・ジーン」 - 1994年7月21日には、「REMEMBER」
と、コンスタントにシングルを発表するも、売上はパッとしない状態が続いたのだそうです。
黒沢健一は26歳の時に「L⇔R」として「HELLO, IT’S ME」がオリコンチャート10位の大ヒット
しかし、そんな中、1994年10月21日にリリースしたシングル「HELLO, IT’S ME」が、ポッキーのCMとのタイアップと映画「四姉妹物語」の主題歌として起用されると、
「HELLO, IT’S ME」は、初のオリコンチャート10位に食い込む大ヒットを記録しています。
「HELLO, IT’S ME」
黒沢健一は26歳の時に「L⇔R」として「KNOCKIN’ ON YOUR DOOR」が大ヒット
そして、1995年5月3日にリリースした7枚目のシングル「KNOCKIN’ ON YOUR DOOR」が、テレビドラマ「僕らに愛を!」の主題歌に起用されると、
「KNOCKIN’ ON YOUR DOOR」はオリコンチャート1位を記録するほか、ミリオンセラーを達成し、黒沢健一さんは、デビュー4年目にして、ついにブレイクを果たしたのでした。
「KNOCKIN’ ON YOUR DOOR」
黒沢健一は27歳~28歳の時に「L⇔R」として「BYE」「DAY BY DAY」「GAME」「NICE TO MEET YOU」「アイネ・クライネ・ナハト・ミュージック」「STAND」をリリース
そんな黒沢健一さんは、その後も、「L⇔R」として、
- 1995年10月20日には、「BYE」
- 1995年11月17日は、「DAY BY DAY」
「DAY BY DAY」 - 1996年1月19日には、「GAME」
- 1996年6月21日には、「NICE TO MEET YOU」
- 1997年2月19日には、「アイネ・クライネ・ナハト・ミュージック」
「アイネ・クライネ・ナハト・ミュージック」 - 1997年3月19日には、「STAND」
と、シングルをリリースしています。
黒沢健一は29歳の時にシングル「WONDERING」でソロデビュー
ただ、そんな「L⇔R」も、1997年には、活動休止を発表。
その後、黒沢健一さんは、1998年6月3日にシングル「WONDERING 」でソロデビューを果たすと、以降、ソロ名義の作品を発表しつつ、
「curve509」「Science Ministry」「健’z(健’z with Friends)」「MOTORWORKS」「ハンキー・パンキー」など、様々なユニットを結成して活動するほか、
音楽プロデューサーや作曲家としても活動を続けていたのですが・・・
黒沢健一は48歳で死去
2016年10月3日、48歳の時、自身の公式サイト上で、脳腫瘍の治療中であることを公表すると、
同年12月5日、脳腫瘍により、48歳の若さで他界されたのでした。
1991年、弟の黒沢秀樹さんらと「L⇔R」を結成し、「HELLO, IT’S ME」「KNOCKIN’ ON YOUR DOOR」などのヒット曲で90年代のポップスシーンを彩ると、その後もソロや様 …
黒沢健一のアルバム(ソロ)一覧
それでは、最後に、黒沢健一さんのアルバム(ソロ)をご紹介しましょう。
- 1998年「first」
- 2001年「B」
- 2002年「NEW VOICES」
- 2008年「LIVE without electricity 」
- 2009年「Focus」
- 2010年「V.S.G.P」
- 2010年「V.S.G.P NAKED」
- 2012年「Alone Together VOLUME ONE」
- 2013年「Banding Together in Dreams」
- 2015年「LIFETIME BEST “BEST VALUE”」
- 2017年「HEAR ME NOW」
※黒沢健一さんの他界後、生前に残されたデモ音源などを元に、交流のあったミュージシャンたちがアレンジや演奏を担当し、制作されたアルバム。
と、アルバムをリリースしています。
「黒沢健一の死因は脳腫瘍!L⇔R再始動決断直後に発覚し1年後に公表していた!」に続く
1991年、弟の黒沢秀樹さんらと「L⇔R」を結成し、「HELLO, IT’S ME」「KNOCKIN’ ON YOUR DOOR」などのヒット曲で90年代のポップスシーンを彩ると、その後もソロや様 …