1972年、13歳の時、「せんせい」でレコードデビューすると、たちまち大ヒットとなり、山口百恵さん、桜田淳子さんとともに「花の中三トリオ」として人気を博すと、
1977年、「なみだの桟橋」で本格的な演歌歌手へと転身した後も、「哀しみ本線日本海」「立待岬」「越冬つばめ」「愛傷歌」など、次々とヒットを飛ばし、圧倒的な歌唱力で演歌界に確固たる地位を築いた、森昌子(もり まさこ)さん。
今回は、そんな森昌子さんの、若い頃(レコードデビュー)から引退までの代表曲(シングル)ほか経歴を時系列でご紹介します。

「森昌子の生い立ちは?小学時代は不登校も中1の時「スター誕生!」で優勝!」からの続き
森昌子は13歳の時にデビュー曲「せんせい」が大ヒット
森昌子さんは、1972年7月1日、13歳の時、ファーストシングル「せんせい」で歌手デビューすると、たちまち51.4万枚を売り上げる大ヒットを記録しています。(森昌子さん最大のヒット曲)

「せんせい」
森昌子は13歳の時に「同級生」、14歳の時に「中学三年生」も大ヒット
すると、その後も、
- 1972年10月25日にリリースした2枚目のシングル「同級生」

「同級生」 - 1973年2月5日リリースした3枚目のシングル「中学三年生」

「中学三年生」
と、学園3部作が、立て続けにヒットし、
1973年には、「NHK紅白歌合戦」に当時女性としては最年少の15歳で初出場を果たすなど、同学年の山口百恵さん、桜田淳子さんとともに、「花の中三トリオ」と呼ばれて、アイドル的な人気を博しました。
森昌子は22歳~26歳の時に「哀しみ本線日本海」「立待岬」「越冬つばめ」「愛傷歌」のヒットで国民的歌手となっていた
さらに、森昌子さんは、1977年3月に高校を卒業した後は、本格的な演歌歌手へと転身し、同年8月に「なみだの桟橋」をリリースすると、

「なみだの桟橋」
- 1981年7月「哀しみ本線日本海」

「哀しみ本線日本海」 - 1982年8月「立待岬」

「立待岬」 - 1983年8月「越冬つばめ」

「越冬つばめ」 - 1985年7月「愛傷歌」

「愛傷歌」
と、ヒットを連発し、
1985年には、「NHK紅白歌合戦」で、史上2人目となる「司会+トリ」を務めるなど、国民的人気歌手としての地位を不動のものにしたのでした。
森昌子は28歳の時に芸能界を引退するも43歳の時に16年ぶりにNHK紅白歌合戦に出場していた
そんな森昌子さんも、1986年、28歳の時には、演歌歌手の森進一さんと結婚すると、芸能界を引退して家庭に入り、主婦業と子育てに専念していたのですが、
2001年、43歳の時には、16年ぶりに「第52回NHK紅白歌合戦」に出演すると、夫の森進一さんにエスコートされて、紅白のステージに登場し、「せんせい」「哀しみ本線日本海」「越冬つばめ」など往年のヒット曲メドレーを歌唱し、大反響を呼びました。
森昌子は44歳の時に森進一とのデュエット「しあわせのうた」をリリースするも、46歳の時に離婚していた
すると、この「第52回NHK紅白歌合戦」出場がきっかけとなり、森昌子さんは、翌年の2002年から、森進一さんの”デュエット歌手”として、頻繁に「ジョイントコンサート」を開催するようになり、
2003年1月22日には、森進一さんとのデュエット「しあわせのうた」をリリースしたのですが・・・
2005年4月19日には、森進一さんとの離婚を発表しています。

「しあわせのうた」
森昌子は47歳の時に芸能活動を再開
その後、森昌子さんは、2006年3月27日、47歳の時には、芸能活動を再開することを正式に発表すると、
同年5月には、「NHK歌謡コンサート」でテレビに復帰し、以降、歌手活動のほかにも、テレビドラマへの出演、コンサート制作、震災支援、台湾公演など幅広く活動しています。
森昌子は61歳の時に芸能界を引退
また、2016年7月、57歳の時には、初のライブハウス公演「45周年記念スペシャルライブ」を「コットンクラブ」で開催すると、9月30日からは、デビュー45周年記念コンサート「時を超えて」の全国ツアーを開始するなど、精力的に活動していたのですが・・・
2019年3月28日、「残された時間を充実させたい」と、年内での芸能界引退を発表すると、
同年12月25日、森昌子さんの地元・栃木県宇都宮市で最後のコンサートを行い、これをもって芸能活動を終了したのでした。
ちなみに、森昌子さんの某知人が、インタビューで、
実はお母様の具合があまりよくないようで、最近は歩くことも億劫になり、横になったままのことも多いと聞いています。
昌子さんはコンサートなどで留守にする時にはお母様の食事を準備しておき、食欲が増すように味付けを工夫したり、食べやすいように食材を細かく刻んだりと気を配っているそうです
昌子さんが介護を放棄することは絶対にしないと思う。今はそれほど深刻な状態ではありませんが、今後、お母様の状態が悪くなっても、最期まで面倒を見るつもりでしょう。芸能界引退は、そんな“覚悟”の表れなのだと思います
と、語っていたとのことで、
森昌子さんが芸能界を引退したのは、お母さんの介護が理由のようです。
森昌子の主なシングル一覧
それでは、最後に、森昌子さんの主なシングルをご紹介しましょう。
- 1973年「中学三年生」
- 1974年「おかあさん」
- 1975年「あなたを待って三年三月」
- 1976年「夕笛の丘」

「夕笛の丘」 - 1977年「なみだの桟橋」
- 1978年「彼岸花」
- 1979年「夕子の四季」
- 1980年「信濃路梓川」
- 1981年「哀しみ本線日本海」
- 1982年「立待岬」
- 1983年「越冬つばめ」
- 1984年「寒椿」
- 1985年「愛傷歌」
- 1986年「孤愁人」
- 2006年「バラ色の未来」

「バラ色の未来」 - 2007年「こころ雪」
- 2011年「洗濯日和」
- 2012年「人生に乾杯」
- 2013年「はぐれどり」
- 2014年「花魁」
- 2015年「惚れさせ上手」
- 2016年「百年の恋歌」

「百年の恋歌」 - 2017年「みぞれ酒」
- 2018年「好きかもしれない〜大阪物語〜」
など、数多くのシングルをリリースしています。
(1987年から2005年までは、結婚・出産・育児などにより歌手活動を休止していたため、シングルのリリースはありません)
「森昌子は身投げを考えるほど重度の更年期障害に悩まされていた!」に続く
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