小学1年生の時、姉・安田祥子さんと共に童謡歌手として活動を開始した、由紀さおり(ゆき さおり)は、やがて、姉の安田祥子さんがソプラノ歌手に進んでいくと、自身は、大人の世界を歌える歌手になることを選んだそうですが、当初はなかなか厳しい状況だったといいます。
今回は、由紀さおりさんの、若い頃(下積時代)をご紹介します。

「由紀さおりの生い立ちは?幼少期は?少女時代から姉・安田祥子と童謡歌手!」からの続き
由紀さおりは中学3年生の時に童謡歌手から大人の世界が歌える歌手に転向していた
小学1年生の時から、姉・安田祥子さんと共に童謡歌手として活動していた由紀さおりさんですが、長年、安田祥子さんには勝てないと思っていたことから、すでにソプラノ歌手への道を歩き始めていた安田祥子さんの後は追わず、
童謡歌手を続けるか、大人の世界を歌える歌手になるべきか悩んだ末、大人の世界を歌える歌手になることを選んだそうで、
由紀さおりさんは、中学3年生の時、小学1年生の時から所属していた「日本コロムビア」を離れて「キングレコード」に移籍したそうです。
すると、「キングレコード」では、ディレクターからジャズを歌うように言われたそうで、学校が終わった後、制服姿のまま先生のところに行きジャズを学んだそうですが、
何ヶ月か経ったある日のこと、先生に、
これ以上、僕の所に通っても上手くはならないよ。やっぱり、お客さんの前で歌わないと。もし、そういう場所で歌おうと思うなら紹介してあげるから
と、言われたそうで、
銀座の「モンテカルロ」というキャバレーを紹介してもらったのだそうです。
由紀さおりは中学3年生の時に銀座のキャバレー「モンテカルロ」で歌っていた
こうして、「モンテカルロ」で歌うことになったという由紀さおりさんですが、いつもぶっつけ本番で、その場でバンドマンスターから指示を受け、歌っていたことから、とても怖かったといいます。
また、夕方6時半スタートのステージと7時半スタートのステージをこなしていたことから、夜の8時前にお店を出て家に帰ったそうですが、
場所が場所だけに、酔ったおじさんに声をかけられ、怖くて泣きながら家に帰ったことがあったそうで、次からは、お母さんが迎えに来てくれるようになったといいます。
由紀さおりは高校生の時にNHK「おかあさんといっしょ」の歌のお姉さんをしていた
そんな日々を1年ほど続けた頃、NHKの子ども向け番組「おかあさんといっしょ」の歌のお姉さんのオーディションを受けると、見事、合格し、「おかあさんといっしょ」に出演するようになったそうで、
その後は、「おかあさんといっしょ」で音楽を担当していた作曲家の越部信義さんにCMの仕事を紹介してもらい、「味の素ハイミー」や「チョコレイトはメ・イ・ジ」など、数多くの印象深いCM曲を歌うようになったそうです。
(キャバレーで歌う修業の日々は終わったそうです)
由紀さおりは17歳の時に「ヒッチハイク娘」で歌謡曲の歌手としてデビューするも全く売れなかった
そして、1965年2月、17歳の時には、「ヒッチハイク娘」で歌謡曲の歌手として、本名の「安田章子」名義でデビューすると、

「ヒッチハイク娘」
その後も、
- 1965年5月「どこにいるのパパ」

「どこにいるのパパ」 - 1965年8月「お別れの泪」
- 1966年4月「ふるさとの牧場」

「ふるさとの牧場」
と、シングルをリリースするのですが・・・
まったく売れなかったといいます。
「【画像】由紀さおりの若い頃(ソロ)から現在までの歌手としての経歴は?」に続く
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1969年、再デビュー曲「夜明けのスキャット」が大ヒットを記録すると、1970年には、再デビュー後5枚目のシングル「手紙」も大ヒットとなり、以降、歌手、タレント、女優、司会ほか、マルチな活躍を続けてきた、由紀さおり(ゆき …







