慶應義塾大学卒業後、フジテレビに入社し、ドラマやバラエティの制作に携わると、その後、アメリカに留学して、CG(コンピュータグラフィックス)を学び、帰国後は、日本初の商業CGスタジオ「JCGL」を設立するなど、
それまで、手書きだった日本のアニメにデジタル技術を導入し、「日本のCG(コンピュータグラフィックス)の父」と称されている、金子満(かねこ みつる)さん。
今回は、そんな金子満さんの、若い頃(フジテレビの会社員時代)から死去までの代表作(テレビドラマ、映画、アニメ作品、著書)ほか経歴、妻・浜美枝さんとの結婚、子供についてご紹介します。

金子満のプロフィール
金子満さんは、1939年1月生まれ、
東京都の出身、
学歴は、
慶應義塾大学法学部
⇒東京工業大学大学院後期博士課程修了(学位は博士(学術))
ちなみに、金子満は本名で、
お父さんは、映画配給会社「東宝」の重役を務めていたそうです。
※建築家の金子満氏とは同姓同名の別人です。
金子満は23歳~30歳の頃にフジテレビの「日清オリンピックショウ 地上最大のクイズ」「第7の男」「ゼロファイター」のプロデュースを手掛けていた
金子満さんは、慶應義塾大学法学部を卒業後、フジテレビに入社すると、
編成部に所属し、
- 1962~1965年「日清オリンピックショウ 地上最大のクイズ」(クイズ番組)
- 1964~1965年「第7の男」(テレビドラマ)
- 1969年「ゼロファイター」(テレビドラマ)
などのプロデュースを手掛けたそうですが、
「ゼロファイター」は、1964年に制作されていたにもかかわらず、スポンサーが完成した作品を敬遠したことから、お蔵入りを余儀なくされ、1969年にようやく放送に至ったといいます。
金子満は30代前半の頃にアメリカ・MGMスタジオで映画制作を学んでいた
そんな金子満さんは、この失敗をきっかけに、社内留学制度を利用して、南カリフォルニア大学シネマスクールへ留学すると、さらに、アメリカの映画・テレビドラマ配給会社「メトロ・ゴールドウィン・メイヤー(MGM)」で研修を受けたそうで、
MGMスタジオでは、映画「ドクトルジバゴ」のデイヴィッド・リーン組や「拳銃無宿」のヴィンセント・フェネリー組に配属され、映画制作を学んだそうです。
また、ABC(アメリカン・ブロードキャスティング・カンパニー)ビデオセンターで、CM制作にも携わったそうです。
金子満は35歳~37歳の時にアニメ「ウリクペン救助隊」「ラ・セーヌの星」「大空魔竜ガイキング」の原作を手掛けていた
そして、帰国後は、「木枯し紋次郎」などのプロデューサーを務めたそうですが、1974年、35歳の時には、フジテレビを退職して、映像企画会社「MK COMPANY」を設立すると、
- 1974~1975年「ウリクペン救助隊」

「ウリクペン救助隊」 - 1975年「ラ・セーヌの星」

「ラ・セーヌの星」 - 1976年「大空魔竜ガイキング」※中谷国夫名義

「大空魔竜ガイキング」
などの原作を手掛けたそうです。
金子満は40歳~43歳の時に「アニメーション紀行 マルコ・ポーロの冒険」「名犬ジョリィ」「太陽の子エステバン」を手掛けていた
また、金子満さんは、その後も、「MK COMPANY」のプロデューサー兼シナリオライターとして、
- 1979~1980年「アニメーション紀行 マルコ・ポーロの冒険」

「アニメーション紀行 マルコ・ポーロの冒険」 - 1981~1982年「名犬ジョリィ」

「名犬ジョリィ」 - 1982~1983年「太陽の子エステバン」

「太陽の子エステバン」
などのアニメ作品を制作しています。
金子満は44歳の時にアニメ「子鹿物語」で世界で初めてコンピューターで色を塗っていた
そんな金子満さんは、1981年、42歳の時には、日本初の商業CGスタジオ「JCGL(ジャパン・コンピュータ・グラフィックス・ラボ)」を設立すると、アニメ「子鹿物語」を製作しているのですが、
この作品は、テレビシリーズのアニメ作品では世界で初めてコンピューターで色を塗って映像を作り上げたデジタルアニメだったそうで、第2話は、フルデジタルで作られたそうです。
(それまでのアニメは、透明なシート(セル)の裏から、人が筆で色を塗っていたそうです)

「子鹿物語」より。
金子満は45歳の時にアニメ「SF新世紀レンズマン」を手掛けていた
その後も、金子満さんは、1984年、45歳の時には、「SF新世紀レンズマン」などのアニメ作品の製作に携わっています。

「SF新世紀レンズマン」より。
金子満は48歳の時に映画「トータル・リコール」でアカデミー特別業績賞を受賞していた
また、金子満さんは、1987年、48歳の時には、ジム・クリストフさんらと、ロサンゼルスに「メトロライトスタジオ」を設立すると、
1990年、51歳の時には、アーノルド・シュワルツェネッガーさん主演のハリウッド映画「トータル・リコール」を手掛け、特殊効果において、低予算でありながら画期的な演出とインパクトを発揮できるアイディアを提供したとして、「第63回アカデミー賞」でアカデミー特別業績賞を受賞しています。
ちなみに、アカデミー特別業績賞を受賞したのは、地下鉄で(武器を持っているか調べる)レントゲン透過装置(X線を使わずに人体の内部を可視化する装置)を使うシーンだったそうで、
当初、骨格のCGモデルをモーションキャプチャーと連動させて動かそうとするも、当時の技術力では上手く機能させることが出来なかったところ、
金子満さんが、代替案としてハーフミラーを利用してアーノルド・シュワルツェネッガーさんのビデオショットを1枚ずつモニターの上に貼り、そこに骸骨のモデルを合わせていく”ロトスコープ”で撮影することを提案したのだそうです。
金子満は79歳で死去
その後、金子満さんは、1996年、57歳の時に、東京工業大学大学院後期博士課程を修了(情報理工学)し、
- 慶應義塾大学環境情報学部、同大大学院教授
- 東京工科大学メディア学部教授、同大大学院教授
を経て、2010年、71歳の時には、東京工科大学大学院及び東京工科大学片柳研究所教授に就任すると、
コンテンツ工学の研究と教育を実践するほか、東京国際アニメフェアで委員を担うなど、精力的に活動をしていたのですが・・・
2018年、79歳で他界されています。
(死因は公開されていません)
金子満の妻は女優の浜美枝
ちなみに、金子満さんは、プライベートでは、1969年に女優の浜美枝さんと結婚しています。
当時、フジテレビの社員だった金子満さんが、浜美枝さんの箱根の自宅に取材に訪れたことがきっかけで知り合い、その後、交際に発展し、結婚に至ったと言われているのですが、
金子満さんは、プライベートについてほとんど明かしておらず、詳細は不明です。
金子満の子供は息子2人娘2人
また、金子満さんは、浜美枝さんとの間に、息子2人、娘2人、合計4人の子供(長女、長男、次女、次男の順番)がいるそうで、
次男の金子森(かねこ しん)さんは、中学と高校をフランスで過ごした後、アメリカ・南カリフォルニア大学に留学すると、帰国後は、東京都内で会社員をした後、30歳の時、地元・箱根に戻り、2015年に訪日外国人向け専門ガイド「Explore Hakon」を設立し、以降、ガイドとして活動しているそうですが、
他の3人の子供については、いずれも芸能関係者ではなく、金子満さんは子供たちについてほとんど明かしていないため、長男が海外に住んでいるということくらいしか分かっていません。

金子満さんの次男・金子森さん。
金子満の著書
それでは、最後に、金子満さんの著書をご紹介しましょう。
- 「映像コンテンツの作り方 コンテンツ工学の基礎」(2007年、ボーンデジタル)
- 「シナリオライティングの黄金則 コンテンツを面白くする」(2008年、ボーンデジタル)
- 「ザ・ムーヴィビジネスブック」(2009年、ボーンデジタル)※監修、読み手
- 「キャラクターメイキングの黄金則」(2010年、ボーンデジタル)
- 「「おもしろい」映画と「つまらない」映画の見分け方」(2011年、キネマ旬報社〈キネ旬総研エンタメ叢書))※監修
- 「「おもしろい」アニメと「つまらない」アニメの見分け方」(2012年、キネマ旬報社〈キネ旬総研エンタメ叢書))※監修
- 「映像ミザンセーヌの黄金則 ヒットする映画の作り方」(2012年、ボーンデジタル)
- 「ビデオリサーチ 編『「視聴率」50の物語 テレビの歴史を創った50人が語る50の物語』」(2013年、小学館)
- 「ラ・セーヌの星 = Étoile de la Seine 1」(2013年、復刊ドットコム)※原作
- 「ラ・セーヌの星 = Étoile de la Seine 2」(2014年、復刊ドットコム)※原作
など、多数の著書を出版しています。
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