桑名正博さんとアン・ルイスさんを両親に持ち、1998年、17歳の時、アン・ルイスさんの「豹柄とピンク」のカップリグング曲「So in love with you」でデビューすると、2000年1月20日、18歳の時には、「Over the View」でソロデビューも果たした、美勇士(みゅうじ)さん。

そんな美勇士さんは、3歳の時に両親が離婚し、母親のアン・ルイスさんに引き取られるのですが、中学に上がる時には、父親の桑名正博さんの実家に移り住むと、13歳の時には、桑名正博さんに誘われる形で、ステージデビューを果たしたといいます。

今回は、美勇士さんの生い立ち(幼少期~15歳で渡米)をご紹介します。

美勇士

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美勇士のプロフィール

美勇士さんは、1981年5月8日生まれ、
ハワイの出身、
(東京⇒大阪・阿倍野育ち)

身長173センチ、

血液型はA型、

学歴は、
インターナショナルスクール
⇒大阪市立阪南中学校卒業
(高校・大学については進学しているかどうか不明です)

特技は、英語、
(インターナショナルスクール(アメリカンスクール)に通っていたことからペラペラ)

趣味は、フットサル、
(芸能人女子フットサルチーム「東京チェリーズ」の監督も務めたことがあったそうです)

また、ゲームも好きで、2002年には、プレイステーション用ゲームソフト「X~運命の選択」(バンダイ)のテレビアニメ版のオープニング曲「eX dream」の作曲と歌唱も務めています。

美勇士の父親は桑名正博、母親はアン・ルイス

そんな美勇士さんは、

お父さんが、ミュージシャンの桑名正博さん、
お母さんが、元歌手のアン・ルイスさん(2013年に引退)、
叔母(父親の妹)が、歌手の桑名晴子さん、

と、ミュージシャン一家です。

美勇士の本名は?別名義は?

美勇士さんの本名は、「桑名 美勇士 ジュリアン」というそうですが、「美勇士」の由来は、「ミュージック」「ミュージシャン」だそうで、

お母さんのアン・ルイスさんは、「美勇士」と名付けた理由について、

“ミュージシャン”になってほしいという思いを込めた名前を、2人(前夫・桑野正広さん)で考えたの

と、語っています。

(「ミュウージ」に、「くん」「さん」をつけると、「ミュージック」「ミュージシャン」と聞こえるから、とも言われています)

また、美勇士さんは、「Julian Lewis」名義で、作曲、プロデュースなども行っています。

美勇士は幼い頃から音楽に恵まれた環境で育っていた

美勇士さんは、桑名正博さんとアン・ルイスさんというミュージシャンの両親のもと誕生したことから(一人息子)、

幼い頃は、お父さんのライブでコーラスをしたり、音楽を聴いたり、歌を歌ったりと、両親の影響で、音楽に恵まれた環境で育ったそうです。

美勇士は幼少期に両親が離婚後はアン・ルイスに引き取られるもインターナショナルスクールの寮で寂しさを堪えて生活していた

ただ、美勇士さんが3歳の時、両親(桑名正博さんとアン・ルイスさん)が離婚し、お母さんに引き取られると、お母さんはとても忙しく、美勇士さんは、インターナショナルスクールの寮で生活するようになったそうで、

普段は、弱気を悟られないように振る舞っていたそうですが、やはり、寂しく、ベッドでひとり、お母さんの歌を聴いては泣いていたといいます。

美勇士は中学からは大阪阿倍野の父・桑名正博の実家に移り住んでいた

そんな中、美勇士さんは、中学に上がる頃には、親権がお父さんの桑名正博さんに譲渡され、お父さんの実家がある大阪・阿倍野の天王寺に移り住むと、中学の3年間を天王寺で過ごしたそうで、

美勇士さんは、

(一番の思い出の地は)それは大阪やと思いますねー。住みやすいというところもありますが、やはり中学校という多感な時期を過ごしましたからねー。

東京の時は、まだ小さかったから自由に遊びに行くことも無かったです。大阪ではチャリンコという武器を手に入れて(笑)、本当にどこにでも遊びに行っていましたねー、南港とか(笑)。

と、語っています。

また、美勇士さんは、お父さんの桑名正博さんについて、

父は気さくでした。仕事とプライベートを区別しない人で、サインを頼まれればいつでも引き受ける。断るのを見たことは無かったです。

地域の祭りでは、サインを求めてどの屋台より長い行列ができたことも。それでも父は『ええよ』と応じていました

と、語っています。

美勇士は13歳の時に父・桑名正博に誘われミュージシャンとしてステージデビューしていた

すると、1994年、13歳の時には、お父さんの桑名正博さんから、

ステージ、立ってみるか

と、声をかけられ、初めてギターに触れたそうですが、

ライブ告知のチラシに自分の名前が掲載されているのを見た時には、言いようのない感動を覚えたといいます。

そして、「NEW YEAR ROCK FESTIVAL IN KANSAI」でミュージシャンとしてステージデビューを果たすと、本番では懸命に弦を押さえてコードを弾いたそうですが、その演奏体験はとても楽しいものだったそうで、

美勇士さんは、

あの経験がなければ、音楽の道を進むことはなかったかもしれません

と、語っています。

(「NEW YEAR ROCK FESTIVAL IN KANSAI」は、内田裕也さんと桑名正博さん主催によるライブだったそうです)

ちなみに、お父さんから、音楽をしろと強制されたことはなかったそうで、中学生の時、サッカー選手になりたかったという美勇士さんが、そのことをお父さんに伝えると、お父さんは、ラモス瑠偉さんや永島昭浩さんを家に呼んでくれるなど、やりたいことを応援してくれたそうです。

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美勇士は15歳の時に音楽の武者修行をするべく渡米していた

そんな美勇士さんは、1996年、15歳の時には、音楽の武者修行のため渡米したそうで、ロサンゼルスのミュージシャンと交流するほか、その土地の音楽に触れたのだそうです。

「【画像】美勇士の若い頃から現在までのアルバムや出演ドラマ映画ほか経歴は?」に続く

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