1970年、映画「反逆のメロディー」でアウトローな若者を演じ、たちまち人気を博した、俳優の原田芳雄(はらだ よしお)さん。その後、数多くの映画やテレビドラマに出演されましたが、2011年、ガンのため、71歳で亡くなっています。


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年齢は?出身は?身長は?本名は?

原田さんは、1940年2月29日生まれ、
東京都足立区(当時は、東京府東京市足立区)のご出身、

身長175センチ、

血液型はA型、

出身高校は、
本所工業高校機械科、

趣味は、
料理、鉄道模型、動物園・水族館巡り、

ちなみに、
原田芳雄は本名です。

舞台俳優として

原田さんは、高校2年生の時、
近所に住んでいたアマチュア劇団の友人に誘われ、
稽古に参加したことがきっかけで、
俳優を目指されたそうで、

高校卒業後は、いったん就職するも、
1963年、「俳優座養成所」に、
第15期生として入所。

その後、1966年、
「俳優座」へ正式入団されると、
舞台を中心に活動され、

1967年、「天下の青年」で、
テレビドラマデビュー、

翌年の1968年には、
「復讐の歌が聞こえる」で、
復讐に燃える主人公を演じ、
映画デビューも果たされたのでした。

「復讐の歌が聞こえる」より。

アウトロー役でブレイク!

そして、原田さんは1969年、
テレビドラマ「五番目の刑事」で、
刑事役を好演されるのですが、

「五番目の刑事」より。

翌年の1970年には、一転、
映画「反逆のメロディー」で、

上下ジーパン(しかも上は素肌にGジャン!)に、
サングラス・長髪で、ジープを乗り回し、

バーボンをラッパ飲みするヤクザを演じられると、
たちまち注目の的に。

「反逆のメロディー」より。

原田さんは、その後も、
この年(1970年)には、
映画「新宿アウトロー・ぶっ飛ばせ」

1971年には、
「野良猫ロック・暴走集団’71」
「関東流れ者」
「関東幹部会」
など、

「野良猫ロック・暴走集団’71」より。

立て続けにアウトロー役を演じられ、

松田優作さんをはじめ、
当時の若手俳優たちに大きな影響を与えたのでした。

原田さんは、この年(1971年)、
「俳優座」を退団され、

以降、テレビドラマや映画を中心に、
数多くの作品に出演されています。

そんな原田さんの、
ご家族を中心に調べてみました。

妻は?

原田さんは、1970年、
章代さんという、一般の女性と結婚されています。

しかし、新婚生活は華々しいものではなく、
当時の原田さんのお給料は5千円で、
3畳1間のアパートからスタートしたそうです。

しかも、その時、章代さんは、
妊娠7ヶ月だったということで、

当時の原田さんを知る、
中村敦夫さんは、

1971年、俳優座と衝突した原田は、
僕や市原悦子さんらと退団してしまった。

テレビにでてるといっても劇団員の給料は安い。
赤ちゃんもいるのにやめるんだから、
奥さんも大変だったと思います。

と、おっしゃっていました。

その後、原田さんは、
アウトローの役でブレイクするのですが、

苦労を共にされた奥さんということで、
とても献身的な方なのでしょうね。

子どもは?

お二人の間には、娘さんと息子さんの、
二人のお子さんがいらっしゃいます。

息子さんは、ミュージシャンとして活動されている、
原田喧太(はらだ けんた)さん。

原田喧太さん

娘さんは、女優として活動されている、
原田麻由(はらだ まゆ)さんなのですが、

原田麻由さん

原田さんは、子ども達が幼い頃、
家庭を顧みることがなく、

血縁関係だけが家族ではない

と言って、ご家族より、
スタッフや役者仲間と過ごすことのほうが、
多かったことから、

それが原因で、一時期、喧太さんと、
関係が悪化したことがあったとか。

原田さんが、昔かたぎの役者だったことが、
伺えるエピソードですね。

ガン

そんな原田さんは、2008年、
「大腸ガン」が発見されてしまいます。

しかし、手術を受け、
約1ヶ月の静養後、見事、職場復帰。

原田さんは、それ以降も、
精力的に活動を続けられ、

2009年 NHKドラマ「火の魚」
2010年 映画「大鹿村騒動記」

などに出演。

「大鹿村騒動記」より。原田さん、石橋蓮司さん、佐藤浩市さん。

「大鹿村騒動記」は、原田さんご自身が企画し、
長野県大鹿村に昔から伝わる、
村歌舞伎を披露されたのでした。

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死去

しかし、2011年、
テレビドラマ「高校生レストラン」で、
レギュラー出演されている折、病状が悪化。
途中降板を余儀なくされてしまいます。

実は、「大腸ガン」が発見されたとき、
ご家族の方には、余命2年と宣告されており、
原田さんは、すでに末期の状態だったのでした。

原田さんは、
ガンが進行し、さらに転移。

映画「大鹿村騒動記」の完成披露試写会には、
車椅子姿で出席されるも、この時は、すでに、
話すこともままならなかったそうです。

そして、原田さんは、その8日後、
「大鹿村騒動記」が封切られたのを見届け、
亡くなったのでした。

原田さんの息子さんの、
原田喧太さんによると、

原田さんは、亡くなる2日前、

「もう駄目だ」

と、つぶやかれたそうで、

これが、原田さんの、
最初で最後の弱音となってしまったのでした。

さて、いかがでしたでしょうか?

病床でも次にやる作品の話をしていた。
まだまだやりたいことはあったみたい。
時代劇をやりたいとも言っていた。

とのことで、

最後の最後まで、俳優であり続け、
燃え尽きた原田さん。

そんな原田さんの魂は、
数多くの作品で生き続けています。

この機会に、原田さんの作品を、
ご覧になってはいかがでしょう。

https://www.youtube.com/watch?v=re3-8v6Zlsk

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