滝田栄の現在は?徳川家康から仏像彫刻?料理バンザイやレミゼラブルも!

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テレビ番組「料理バンザイ!」の司会や、ミュージカル「レ・ミゼラブル」のジャン・バルジャン役でおなじみの俳優、滝田栄(たきた さかえ)さん。1994年から仏像彫刻を始められ、近年は俳優業からも遠ざかり、仏像彫刻に専念されています。




プロフィール!


滝田さんは、1950年12月5日生まれ、
千葉県印西市出身のご出身です。

身長184センチ、
体重80キロ、

血液型はB型、

学歴は、
中央大学文学部仏文科(夜間部)中退、

趣味・特技は、
陶芸、仏像彫刻、料理、
抜刀術(戸山流四段)

お兄さんは、成田高校陸上部の元監督で、
マラソンの増田明美選手、ハンマー投の室伏広治選手を育てた、
名監督でしたが、55歳の時、がんで亡くなっています。


文学座


滝田さんは、高校時代、
山岳部で山登りに熱中されており、

高校卒業後は、いつか、
フランスの山へ登りたいという気持ちから、
大学は、仏文科(夜間部)に入学し、
昼間はアルバイトをされていたそうです。

しかし、1970年、大学1年生の時、
「70年安保」でほとんど授業がなく、

暇つぶしに銀座をブラブラし、
たまたま入った映画館「テアトル銀座」で、
「アラビアのロレンス」という映画を見たところ、
俳優たちが格好良くて感動され、

そのことを大学の友だちに話したところ、
その友達から、

「君は俳優になるべきだ」
「君はタイプからいって文学座だ」

と言われ、試験の傾向や対策を教えてくれ、
滝田さんのために作文まで書いてもらったそうで、

滝田さんはなんだかできそうな気がしてきたため、
「文学座」養成所の試験を受けに行ったところ、
見事合格されたのだとか。

ただ、右も左も分からず、
まったくお芝居ができなかったそうで、

滝田さんは、その当時を振り返り、

そんな中で続けられたのは、何かね、
空気がものすごく自由で、一人一人がものすごい個性を持っていて、
この人間を見ているのが刺激的で面白かったんですよね。

と、明かされています。

「劇団四季」で活躍


こうして、滝田さんは、
「文学座」の養成所でお芝居の基礎を積まれ、
その後、いつごろかは分かりませんでしたが、
「文学座」の養成所を退所されると、

1973年、23歳の時、「劇団四季」に入団。


27歳頃の滝田さん

「王様の耳はロバの耳」の王様役や、
「ジーザス・クライスト・スーパースター」のユダ役などで有名になられ、

1981年、31歳の時、
「劇団四季」も退団されています。


「ジーザス・クライスト・スーパースター(1976)」より。
ユダ役を演じる滝田さん。



徳川家康


その後、滝田さんは、
テレビドラマを中心に活動され、

1983年には、大河ドラマ「徳川家康」で、
主演の徳川家康役に抜擢。

滝田さんは、その時のことを振り返り、

大河ドラマはそれまで何本か出てきましたけど、
目一杯やれるので参加できるだけで嬉しかった。

ただ、主役は、歌舞伎の方や劇団トップの方とか、
血統書付きの方がやるもので、
僕には縁のない世界だと思っていました。

『内海の輪』というドラマのロケ先に電話がかかってきたんです。
『大河の主役をやってほしい。徳川家康です』と。
最初はからかわれていると思いました。

と、語っておられました♪


「徳川家康」より。滝田さんと武田鉄矢さん。

役作りのため「臨済寺」で修行


そんな滝田さんは、
当初、やる気満だったのですが、

実際に役作りに取り組まれると、
徳川家康という人物がまったく分からず、
演じることに不安を感じられるようになり、

自ら、徳川家康が今川家の人質となって暮らしていた、
静岡の「臨済寺」の門をたたき、
禅の修行僧たちと一緒に生活することに。

また、滝田さんは、竹千代(家康の少年時代の呼称)の間の、
隣の部屋で生活されていたのですが、

それでも、家康がどんな人物だったのか見えてこず、
次第に追い詰められていったのでした。


3杯のお茶?


そんなある日、その寺に隠居していた、
倉内松堂老師という禅師から、

「息抜きにお茶でもどうぞ」

と、声をかけられ、

滝田さんが庵を訪れると、
禅師はお茶を3杯入れてくれたそうです。

1杯目はものすごく甘く、
2杯目は渋く、
3杯目は苦かったそうで、

「ずいぶん味が変わるんですね」

と、滝田さんが言うと、

禅師は、

甘い、渋い、苦い。
甘渋苦の三つが揃って人生の味わいなんです。

とおっしゃって、ニコリとされたそうで、

滝田さんはこれを聞き、
家康の人生を考えたところ、

甘はない、渋もない、苦以上ですね。

想像を絶する苦しみの連続の中を必死に生きて、
一つ一つの苦しみを、ぶざまだけど乗り越えて、

ついに戦国の世を終わらせて天下を平定した。

と理解されたのだとか。
そして、さらに、

「ああ、ぶざまでいいんだ」と思ったんですよ。

僕には耐えられないような苦しみや悲しみを、
本気で乗り越えていった。
これが家康のドラマなんだなと思った。

ずるいタヌキおやじとかそういうお芝居じゃなくて、
家康が生きた理由というものを本気で演じることができました。

と、明かされています。

ちなみに、滝田さんは、家康の心の拠り所が、
仏教であり、お釈迦様だったことが分かると、
それらの教えに関心を持つようになり、

自己流で、経典や般若心経を読んだり、
座禅を組んで瞑想をされたそうです。

「料理バンザイ!」「レ・ミゼラブル」


その後、滝田さんは、
数多くのテレビドラマや映画に出演される一方で、

1982年から2000年まで、
テレビ番組「料理バンザイ!」での司会、


「料理バンザイ!」より。(左から)滝田さん、
市毛良枝さん、中村あずささん。


1987年から2001年まで、
ミュージカル「レ・ミゼラブル」で、
主人公ジャン・バルジャンを演じられるなど、
多方面で活躍されています。


「レ・ミゼラブル」より。滝田さんと鹿賀丈史さん。


仏像を彫る


ところで、滝田さんは、1994年、43歳の時、
2年前に亡くなったお母さんを供養するために、
観音菩薩を彫ったことがきっかけで、
仏像を彫るようになったそうです。

そして、その後も、ご家族や親しい人たちが、
亡くなるたびに仏像を彫り続け、

お父さんが亡くなられた時には、
お母さんの時よりも少し大きい観音菩薩を、

お兄さんが亡くなられた時には、
不動明王を、

また、東日本大震災の被災地、気仙沼には、
地蔵菩薩を彫って贈られたそうで、

現在も八ヶ岳にアトリエを構え、
仏像を彫り続けているのだそうです。


滝田さんの彫られた不動明王。

さて、いかがででしたでしょうか?

怪我により、14年続けた、
ミュージカル「レ・ミゼラブル」を降板、

20年司会を務められたテレビ番組
「料理バンザイ!」が終了するなど、

愛着のあった仕事を一度に失ったことから、
お釈迦様について学ぶ時が来たと思われ、
2002年、インドに修行に行かれた滝田さん。

帰国されると、

成田の空港に降り立ったら、
明らかに(日本は)「欲望の国」だと感じました。

みんな良いものを着ておしゃれしているのに、
なんかイライラ、目がギラギラしている。

インドの森で静かに感謝しながら生きている人たちと、
全く人生のテーマが違う。これが仏教で言う欲界だと思いました。
これを突破する方法が仏教だと思いました。

インドでは、瞑想とは、供養とは、真言とは何かを、
一つ一つ体験させてもらいました。
そして供養の重要性をいっそう感じるようになりました。

と、語っておられたそうで、

自分の信じることに没頭できるって、
ほんと幸せなことですね~

(ご家族はどう思われているか分かりませんが・・・)

ともあれ、滝田さんの仏教の日々は、
これからも続きそうです♪



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