大学1年の時、友人に勧められるまま「文学座」の養成所の試験を受けると、見事合格し、23歳の時には、「劇団四季」に入ると、やがて、font color=”red”>「王様の耳はロバの耳」の王様役や「ジーザス・クライスト・スーパースター」のユダ役などで有名になった、滝田栄(たきた さかえ)さん。その後、滝田さんは、NHK大河ドラマ「徳川家康」の主演で一躍全国的に有名になります。

「滝田栄の若い頃は劇団四季で有名だった!」からの続き

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NHK大河ドラマ「徳川家康」の主演に抜擢

1981年、31歳の時、「劇団四季」を退団すると、その後は、テレビドラマを中心に活動していた滝田さんですが、1983年には、NHK大河ドラマ「徳川家康」で、主演の徳川家康役に抜擢されます。

これで、滝田さんは一躍ブレイクするのですが、後に、滝田さんは、その時のことを、

大河ドラマはそれまで何本か出てきましたけど、目一杯やれるので参加できるだけで嬉しかった。ただ、主役は、歌舞伎の方や劇団トップの方とか、血統書付きの方がやるもので、僕には縁のない世界だと思っていました。

と、振り返り、

「内海の輪」というドラマのロケ先に電話がかかってきたんです。「大河の主役をやってほしい。徳川家康です」と。最初はからかわれていると思いました。

と、最初は信じられなかったことを明かされています。


「徳川家康」より。滝田さんと武田鉄矢さん。

役作りのため「臨済寺」で修行していた

ところで、この大河ドラマ主演には、当然やる気満々だった滝田さんですが、実際、役作りに取り組むと、徳川家康という人物がまったく分からず、演じることに不安を感じるようになったそうで、

自ら、徳川家康が今川家の人質となって暮らしていた、静岡の「臨済寺」の門をたたいたそうです。

そして、竹千代(家康の少年時代の呼称)の間の隣の部屋に住み込み、禅の修行僧たちと一緒に生活されたそうですが、それでも、家康がどんな人物だったのか見えてこず、次第に追い詰められていったのだそうです。

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3杯のお茶

そんなある日、その寺に隠居していた、倉内松堂老師という禅師から、

息抜きにお茶でもどうぞ

と、声をかけられ、滝田さんが庵を訪れると、禅師はお茶を3杯入れてくれたそうで、

1杯目はものすごく甘く、
2杯目は渋く、
3杯目は苦かったそうで、

ずいぶん味が変わるんですね

と、滝田さんが言うと、

禅師は、

甘い、渋い、苦い。甘渋苦の三つが揃って人生の味わいなんです。

とおっしゃって、ニコリとされたそうで、

滝田さんはこれを聞き、家康の人生を考えたところ、

甘はない、渋もない、苦以上ですね。想像を絶する苦しみの連続の中を必死に生きて、一つ一つの苦しみを、ぶざまだけど乗り越えて、ついに戦国の世を終わらせて天下を平定した。

と、理解されたのだとか。

そして、

「ああ、ぶざまでいいんだ」と思ったんですよ。僕には耐えられないような苦しみや悲しみを、本気で乗り越えていった。これが家康のドラマなんだなと思った。

ずるいタヌキおやじとかそういうお芝居じゃなくて、家康が生きた理由というものを本気で演じることができました。

と、ようやく迷いが消えて、徳川家康という役に入り込むことが出来たのだそうです。

ちなみに、滝田さんは、家康の心の拠り所が、仏教であり、お釈迦様だったことが分かったことから、それらの教えに関心を持つようになり、自己流で、経典や般若心経を読んだり、座禅を組んで瞑想をされたのだそうです。

「滝田栄のデビューからの出演ドラマ映画を画像で!」に続く

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