仲代達矢!無名塾!弟は?妻は?娘は?

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日本で映画が全盛だった時代、銀幕のスターとして活躍された、俳優の仲代達矢(なかだい たつや)さん。ぎらぎらとした鋭い眼光を放つ演技が印象的でした。現在は後進の育成に力を入れ、日本の演劇の伝承に情熱を注いでおられます。





仲代さんは、幼少の頃、
戦争で、貧困や空襲を体験され、
とても過酷な少年時代を過ごされたようです。

高校卒業後は定職に付くことができず、
いろいろなアルバイトをしながら、
映画やお芝居を見に行かれたのだとか。

そんな仲代さんに転機が訪れます。
観劇した「俳優座」公演で、
千田是也(せんだ これや)さんの演技に感銘を受けられ、
1952年に「俳優座」養成所に入られたのでした。

そして、養成所に入られて2年後、
黒澤明監督の「七人の侍」で、2秒間だけ、
通りすがりの侍役で出演されたのだとか!

映画サイト「シネマトゥディ」によると、
このたった2秒の出演のための撮影にも関わらず、
なかなかOKがもらえず、

朝9時からの撮影で、OKが出たのは、
なんと、午後3時だったというから、
どれだけやり直しをさせられたか分かりますね。

侍の歩き方が出来なかった仲代さんは、
黒澤監督をかなり苛立たせたと言われています。

この屈辱感から、

これから良い俳優になって、
絶対黒澤組には出ないぞ!と決めたんです(笑)。

と、黒澤映画に出演しないことを決意され、

7年後に、「用心棒」の出演依頼が来た時も、
最初はずっと断り続けておられたそうです。

結局、最終的には根負けして、
出演を決められたそうですが。

そんな、仲代さんも、
着々と俳優としてのキャリアを積まれ、

1956年には、映画「火の鳥」で、
月丘夢路さんの相手役として、
本格的なデビューを果たされます。



そして、1959年から1961年まで公開された、
上映時間が10時間という、
驚くほど長い映画「人間の條件」では、

主人公の梶役を務められ、
監督の小林正樹さんも感服するほどの、
演技を見せられました。

その後も、「野獣死すべし」「椿三十郎」「天国と地獄」
「怪談」「華麗なる一族」「乱」
などに、
次々と出演され、主演を務められます。



仲代さんは、映画会社と専属契約せずに、
フリーの道を歩き続けるスタイルで、
俳優を続けてこられたようです。

ご自分の納得できる作品に、
出演したかったのでしょうね。

仲代さんの、
作品や演技に対するこだわりが分かります。

そんな、映画スターになられた仲代さんの、
「無名塾」やご家族について、調べてみました!

無名塾


「朝日新聞DIGITAL」の記事によると、
仲代さんは、1975年、

厳しい競い合いで、レベルの高い、
魅力のある俳優をこの国で育てたい。

との思いから、「無名塾」を創立されます。

この名前の由来は、
俳優として成功し、
「自分の芸に手垢がついているかもしれない」
と、感じた時に、初心に立ち戻るための場所であり、

そして、そこに、
「もう一度無名になった気持ちで戻ってこい」
という意味から名付けられたそうです。



この塾は、塾生から授業料を受け取らず、
国や企業からの援助も一切受けず、
すべてを仲代さんが担っておられるとのことで、

仲代さんの、
「後進へ演劇を引き継ぎたい」
という情熱が、ひしひしと伝わってきますね。

入塾を希望してくるのは、高校生も含めてみな無名ですから、
私たちは真剣に才能を見極める審査をし、
3年間懸命に向き合います。

この期間で、舞台の上手(かみて)から下手(しもて)へ、
普通に歩くことができるように、
正しく美しい日本語が話せるようにしなくてはなりません。

俳優の力は、そういう基礎をおろそかにすると、
観客に伝わらないのですが、
それが何とか身につくのに3年くらいはかかるということなのです。

残念なことなのですが、
プロになってからも、「売れないかな、売れないかな」と、
キョロキョロするだけで終わっていく俳優は多い。

私は五十数年もこの世界にいますが、
優秀な新人が出てきたと期待されていても、
一時の売れたい願望による使われ方と運の悪さ、

そして、そんなことに気をとられ、
この努力をさぼっているうちに、
落ちていく俳優を随分と見てきました。

と、仲代さんは語っておられます。

せっかくの才能が、
潰れていくさまを目の当たりにされ、
ご自身もいろいろ学ばれたのでしょう。

仲代さんの情熱が伝わってくるお話でした。

弟は?


仲代さんの弟さんは、
シャンソン歌手の、仲代圭吾(なかだい けいご)さんです。

20代から歌手として活動を始められ、
主にライブをされていたそうです。



「能登演劇堂」のサイトに、
掲載されているプロフィールに

シャンソン・カンツォーネを日本語でわかりやすく歌い、
悲しみを笑いや楽しみに変えて表現し、聴く人を魅了します。

レパートリーも幅広く、シャンソンカンツォーネ、オペラ、
タンゴ、ラテン等、オリジナルも数多い。

代表作「歌うように話せたら」「あゝ結婚」「俺はコメディアン」
「カルーソーを夢見て」「百万本バラ」などがある。

と、紹介されていました。


左から、奥さんの行代美都さん、仲代圭吾さん、特別出演の仲代達矢さん。

奥さんの行代美都(ゆきしろ みと)さんと、
ペアで活動されているようです。

妻は?


仲代さんの奥さんは、
脚本家で女優の、宮崎恭子(みやざき やすこ)さんですが、
1996年に亡くなっています。

もともとは、俳優養成所で、
宮崎さんの後輩だった仲代さん。

1957年の舞台での共演がきっかけで、
ご結婚されたとのことです。



仲代さんは、「無名塾」を、
奥さんと一緒に主宰されていたのだそう。

奥さんが亡くなり、深い喪失感の中で、
後追い自殺まで考えるほどだったそうです。

それでも、仲代さんは、
奥さんと築き上げてこられた無名塾を、
現在も続けておられます。

無名塾は、お二人にとって、
子どものような存在なのかもしれません。


娘は?


仲代さんは、奥さんの妹さんで、
特発性拡張型心筋症のため亡くなった、
元フジテレビアナウンサーの、
宮崎総子さんの娘さんを、養女に迎えておられます。

仲代奈緒(なかだい なお)さんといい、
女優や歌手として活動されています。



仲代さんご夫婦には、
1962年に死産されてから、
お子さんができなかったようなので、

お子さんは、
奈緒さん一人ということになりますね。

ただ、仲代さんは、
奈緒さんが4歳の時に、養女にされているので、
ちょっと違和感がありますね。

しかも、奈緒さんは、総子さんの一人娘。
何か、複雑な事情があったのかもしれません。

さて、いかがでしたでしょうか?

50年以上もの間、
俳優を続けてこられた仲代さんですが、

「無名塾」での後進の育成だけではなく、
独特の味を持つ、ご自身の俳優としての活動も、
まだまだ頑張ってほしいですね。

末永いご活躍を応援しています!!



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