シリアスな作品からコメディまで、あらゆる作品で圧倒的な存在感を放つ人気俳優の、佐藤浩市(さとう こういち)さんですが、今回は、そんな佐藤さんの知られざる生い立ちについてご紹介します。

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年齢は?出身は?身長は?本名は?

佐藤さんは、1960年12月10日生まれ、
東京都新宿区のご出身、

身長182センチ、
体重67キロ、

血液型はA型、

学歴は、
千代田区立九段中学校
⇒昭和第一高等学校
⇒多摩芸術学園映画学科中退
(現・多摩美術大学美術学部演劇舞踊デザイン学科)

趣味は、
ゴルフ、競馬、音楽鑑賞(特にヘヴィメタル)、

ちなみに、「佐藤浩市」は本名です。

父親は俳優の三國連太郎

佐藤さんのお父さんは、俳優の三國連太郎さんです。

三國さんは、1951年、木下恵介監督作品「善魔」の主演に抜擢され、映画デビューすると、いきなり「第2回ブルーリボン新人賞」を受賞する快挙を遂げ、同年、同じく木下監督作品「少年期」「海の花火」に立て続けに出演。

以降、数多くのテレビドラマや映画で、アクの強い演技を披露すると、1988年には、テレビドラマ「釣りバカ日誌」で、スーさんこと鈴木社長役を演じ、たちまちお茶の間の人気も獲得。このドラマはシリーズ化され、2009年まで続く高視聴率を記録します。

しかし、2000年代に入ると、映画、テレビドラマともに出演が激減。2012年、老人ホームで暮らしていることが週刊誌などで報じられると、翌年の2013年、「急性呼吸不全」により、90歳で他界されています。

生い立ち

さて、佐藤さんは、そんな人気俳優として活躍していた三國連太郎さんと、東京・神楽坂の売れっ子芸者だったお母さんのもと、一人っ子(長男)として誕生しているのですが、

幼い頃は、お父さんの三國さんに、映画の撮影現場に連れて行ってもらうなど、映画を身近に感じて育ちます。

(佐藤さんは、後に、その経験が「自分の俳優としての原点」だったと語っておられます)

少年時代は父母とも留守がちで孤独だった

ただ、お父さんの三國さんは、後に、当時の結婚生活を、

下宿生活に女が付いてきた

と、語っている程のプレイボーイで、ほとんど家にいなかったため、佐藤さんは、お父さんと生活を共有しているという意識はほとんどなかったそうです。

また、もともと芸者だったお母さんも、知り合いが多く、お酒もよく飲んでいたことから、夜は家をあけることが多かったため、佐藤さんは、家で1人で過ごすことが多かったそうです。

かといって、佐藤さんは、人がいないと生きていけない、というタイプの子どもではなく、そのような環境に慣れ親しんでしまったせいか、時々お父さんがふらっと家に戻ってきてご飯を一緒に食べることが、逆にすごく苦痛でたまらなかったそうです。

両親が離婚し父親・三國連太郎から絶縁を言い渡される

そんな家庭環境で育っていた佐藤さんですが、1972年、佐藤さんが小学5年生の時には、ついに、お父さんが家庭を捨てて家を出てしまい(佐藤さんのことを考えて、すぐの離婚は思いとどまったそうですが)、佐藤さんが中学にあがる前には、財産のほとんどをお母さんに渡して正式に離婚してしまいます。

そして、お父さんに伊豆の十国峠に連れて行かれると、

これが君との最後の別れだ。君はおふくろのところへ帰れ。僕は放浪生活を始めるから

ここでおまえと別れる。今日から他人になる。一切関係を断つ。これから1人で一生懸命生きてくれ

などと、言われたのだそうです。

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高校生の時には母親の再婚相手にたまらず家を飛び出す

こうして、佐藤さんはお母さんと二人で暮らすこととなるのですが・・・

お母さんが、生活のため、スナックの経営を始めると、佐藤さんが中学生になった頃には、お母さんが、店を手伝ってくれる男性(「よっちゃん」と呼ばれていたそうです)と内縁関係になり、3人で一緒に暮らすことに。

しかし、まだ思春期だった佐藤さんには、この、突然、家に転がり込んできた見知らぬ男との生活が耐えられなかったそうで、

ついに、高校2年生の時、

この家に自分の居場所はない

と、家を飛び出して、高校を中退し、アパートで一人暮らしを始めたのだそうです。

(以降、佐藤さんは、30年に渡り、お母さんと絶縁状態だったそうです)

「佐藤浩市はデビュー作品の撮影中トイレに1時間もこもっていた!」に続く

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