1962年、大学在学中の21歳の時にスカウトされて芸能界入りするも、最初の数年間は通行人役ばかりされていた、藤竜也(ふじ たつや)さんですが、1969年、映画「野獣を消せ」で狂犬のような若者役を演じられると、進むべき方向性を確信されます。そんな藤さんのブレイクまでの道のりについて、調べてみました。

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年齢は?出身は?身長は?本名は?

藤さんは、1941年8月27日生まれ、
神奈川県横浜のご出身(中国・北京生まれ)、

身長173センチ、
体重63キロ、

胸囲97.5センチ、
胴回78センチ、

血液型はO型、

学歴は、
横浜市立戸部小学校
⇒関東学院中学校
⇒関東学院高等学校
⇒日本大学芸術学部演劇学科中退

趣味は、陶芸、

ちなみに、本名は伊藤龍也(いとう たつや)です。

スカウトされて芸能界入り

藤さんは、1962年、大学在学中の21歳の時、東京有楽町マリオン(当時は、日本劇場)の前で、デートの待ち合わせをしている時に、

100万、200万なんて、金の単位じゃなくなりますよ

と、スカウトされると、

そんな世界があるなら見てみたい

と、つい思ってしまい、大学を辞めて芸能界入りされたそうで、

藤さんは、当時を振り返り、

僕はドラ息子でしたから、先なんて考えたことはロクになかった。映画を見るのが好きだから、映画俳優になるのもいいんじゃないか。その程度です。

最初は訳が分からないから、歩き方や芝居の仕方は、石原裕次郎さんのマネをしていたんですが、できやしないんですよね。

と、語っておられました。

「通行人」役の日々

こうして、勢いで映画界へ入り、石原裕次郎さんみたいなスターと一緒に、片足をどこかにひっかけてタバコを吹かしながら、かっこいいセリフを言えるものだと思っていた藤さんでしたが、現実はそんなに甘くなく、行ってみると、大部屋で、毎日、通行人の役ばかり。

話が違うじゃないか、早く100万くれよ。

という気分だったそうですが、

「通行人」の役が何年も続き、次第に、ことの深刻さが分かってくると、どうすれば俳優として役がもらえるのか、ということを真面目に考え始めたそうで、そこで、少しでも何かをつかもうと、他の俳優の演技を見学したり、ヒゲを生やすことを思いついたり。

その甲斐あってか、通行人はなくなっていったのですが、相変わらず不安定ことには変わりなく、仕事がない時は、撮影所にあるアクションの道場で、殴られる稽古を一心にされたのでした。

(ただ、それは、「演技力をつける」というよりも、2、3ヶ月と仕事のない状態を耐えるのに、「何かしていないとダメになってしまいそう」だったからだそうです)

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「時間ですよ」の謎の男でブレイク

そして、1969年、映画「野獣を消せ」で、狂犬のような無軌道な若者役を演じられると、これまで日活にいなかったタイプのアウトロー役が見事にはまり、ようやく、自分の演技に手応えを感じられたのですが・・・

1971年には、日活が撮影所を一部閉鎖。

これには、藤さんも相当焦ったそうですが、このことをきっかけにフリーとなり、テレビドラマに出演するようになると、1973年、テレビドラマ「時間ですよ」で、スナックの片隅に座る謎の男を演じ、一躍注目を集められたのでした。


「時間ですよ」より。

ちなみに、「時間ですよ」は視聴率が30%を超える大ヒットドラマとなっているのですが、藤さんも、町を歩いていると、すれ違いざまに振り返られるようになり、テレビの影響力の大きさを実感されたそうです。

「藤竜也の愛のコリーダ出演経緯は?裁判?題材の阿部定事件とは?」に続く


「時間ですよ」より。篠ひろ子さんと藤竜也さん。

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