プロデューサー、演出家、コメンテーター、俳優と、マルチな才能を発揮されている、テリー伊藤(てりーいとう)さん。辛口なコメントが災いし、2015年には、長年レギュラーとして出演されていた情報番組「スッキリ!!」を降板されたといわれています。


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年齢は?出身は?身長は?本名は?

テリーさんは、1949年12月27日生まれ、
東京都中央区築地のご出身、(本籍地は千葉県山武郡横芝光町)

身長174センチ、

学歴は、
早稲田実業学校中学部・高等部
⇒日本大学経済学部卒業
⇒(後に)慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程

趣味は、車、

ちなみに、本名は、伊藤輝夫(いとう てるお)で、
芸名の「テリー伊藤」は、輝夫をもじったものだそうです。

寿司屋でアルバイト

テリーさんは、大学卒業後の就職先として、
アパレル関係の会社、数社の採用試験を受けられるも、

いずれも採用されず、大学卒業後は、
約2年間、寿司屋でアルバイトをされます。

しかし、アルバイト先の寿司屋で働いている人たちは、
自分の店を持つためのモチベーションに溢れており、

就職できなくて仕方なく働いているテリーさんとは、
気合の入り方がまったく違っていたことから、
何をしても勝てず、とても情けない気持ちになったのだとか。

そこで、テリーさんは、
「自分のやりたいことはなにか」
を、真剣に考え始めたところ、

大学時代、フォークコンサートの、
主催や演出をしていたことを思い出し、

1973年、24歳の時、知人を通じて、
テレビ番組の制作会社に就職されたのでした。

テレビ制作会社で才能を開花

その頃のテリーさんは、
制作会社の存在すら知らなかったのですが、
就職後、たちまち、その才能を開花します。

そのいくつかをご紹介すると、

①テレビ番組を作るためには、ロケが必要なのですが、
テリーさんは、車を運転することが好きで、
大学時代、都内をよく走り回っていたため、
ロケ地を探すことが得意だった。

②下請けの制作会社だったため、予算が限られており、
ロケ先とタイアップするにはどうすればいいのか考えたところ、

深夜、旅館やホテルがコマーシャルを流しているのを見て、
巧みな交渉でロケをOKしてもらったばかりか、
宿泊費、食事代まで負担してもらうことに成功した。

③番組の企画で、洋服を着たまま泳ぐというのがあり、
ロケに協力してくれるプールを探したものの、

そのロケの後、掃除をしなくてはならないことから、
OKしてくれるプールはなかったが、

開業前のホテルのプールは、プールを水に慣らすために、
開業前に何度か水を入れ替えないといけないことに、
目をつけ、実際に交渉してみると、簡単にOKしてくれた。

などなど。

テリーさんは、

入ったその日から、
仕事が楽しくて楽しくて。

寿司屋でアルバイトをしていたときは、
毎日仕事に行くのが嫌で、仕事場でも始終、
時計を見て『早く帰りたい』と思っていたのですが、

制作会社に入ってからは、
少しも仕事が苦ではなくなったのです。

入って間もなく、
『こんなに自分に合った天職があったのだ』と思ったほどです。

と、当時のことを振り返っておられます。

そして、1990年代に独立されると、
以降、プロデューサーだけではなく、

コメンテーターとして、
バラエティ番組や情報番組に数多く出演。

そのほか、テレビドラマや映画に、
俳優としても出演されるなど、
マルチな才能を開花されています。

実家は玉子焼き店!

そんなテリーさんの実家は、
「丸武」という玉子焼き専門店で、

大正末期に創業して以来、
80年以上の伝統を誇り、

現在は、テリーさんのお兄さんが、
3代目の大将として、店を切り盛りされています。

テリーさんのお兄さん

「丸武」の公式HPを拝見すると、

鶏の餌から管理する契約農場から毎日直送される、
新鮮な玉子を使用。

余分な添加物は一切加えず、
素材のうま味と秘伝のダシのみを使い、
熟練された職人が丹念に焼き上げました。

ふんわりと、口の中でとろける絶妙な食感は、
高級玉子焼ならでは!
ぜひ一度ご賞味ください。

とのことで、

メニューは、

「厚焼き玉子」
「海老玉」(大)(中)
「三つ葉巻」(大)(中)
「上海苔玉」
「ねぎ玉」
「扇巻き」
「小巻き」
「おぼろ
」(お土産用)

の10種類。

その場で焼いて、すぐに食べられる、
「焼き玉」というのもあるそうで、
ほんと、おいしそうですね~

ちなみに、2016年11月、
築地市場が豊洲に移転したことがニュースになりましたが、

「丸武」は、そのまま築地に残っているとのことで、
ホッと一安心ですね♪

目?

ところで、テリーさんの「目」に、
注目が集まっているようです。

確かに、テリーさんの目は、
「斜視」でしたよね。

調べてみると、テリーさんは、18歳の時、
学生運動に参加されていたのですが、

デモ行進中に、不運にも、
学生が投げた石が、テリーさんの顔面に直撃。

テリーさんは、この時のことを振り返り、

学生が機動隊に対して石を持っている。
俺が反転したときに(学生が投げた石が)当たった。

そこでうずくまったら逮捕されるから、血だらけのままですよ。
もう目をやられたと。ヤバイと思いました。

と、生々しい体験を語っておられました。

テリーさんはこの重傷で、
2ヶ月間の入院を余儀なくされてしまうと、

失明は免れたものの、
左目が55度外を向いてしまう、
「斜視」になってしまったのでした。

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斜視矯正手術を受ける

周囲からは、

「そのままでも良い」
「トレードマーク」

などと励まされていたそうですが、
やはり、ご本人は気にしておられたのでしょう。

番組制作の弟子である、土屋敏男さんの勧めで、
「斜視」の矯正手術を決意されると、

2007年、テリーさんは手術を受けられ、
無事、成功したのでした。

実は、テリーさんは、39年もの間ずっと、
「斜視」を手術で治すことはできないと、
思い込んでおられたそうですが、
治って、本当によかったですね。

しかし、最近になって、ネット上では、

「斜視」がまた再発しているのでは

と話題になっています。

専門家によると、斜視は、症状によっては、
完治するのに時間がかかることがあり、
何度か手術を繰り返すことが必要とのことなので、

テリーさんも、再度、
手術されるのかもしれませんね。

さて、いかがでしたでしょうか?

天才的なひらめきで時代の寵児となり、
今や、テレビ業界の重鎮となられているテリーさん。

テレビ番組での、発言が問題視され、
たびたび物議を醸していることから、

「嫌いなコメンテーター」としても有名ですが、
それは、テリーさんの才能の裏返し。

これからも、めげずに、
まだまだ毒舌を吐いてほしいですね♪

応援しています!!

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