漫画家、タレント、俳優と、マルチに活躍されている、蛭子能収(えびす よしかず)さん。2007年からは、バラエティ番組「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」に、太川陽介さんと出演され、その失言や暴言が受け、人気を博しています。

そんな蛭子さんの、ご家族や、
気になる話題について調べてみました!

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クズでサイコパス?

蛭子さんを「クズ」「サイコパス」で、
多くの方が検索されているようです。

というのも、蛭子さんは、これまで、
一般常識からすると、「クズ」
と言われてもおかしくない、

ぎょっとするような言動を、
たびたびされており、

そのあまりにも度が過ぎた発言に、
「サイコパス(反社会性人格障害)」
とまで言われているというのです。

そこで、蛭子さんの、
「クズ」「サイコパス」な発言を、
まとめてみました!

①つまらない人と対談

蛭子さんと、みうらじゅんさんが対談された時、
みうらさんが、楽屋に置いてあった、
蛭子さんの手帳を勝手に読むと、

当日のスケジュール欄に、
「つまらない人と対談」と書いてあった。

②親指でギューと押すと中まで入りますよ

みうらさんが、
「うち、子供が生まれたよ」と言うと、
蛭子さんは、
「赤ん坊はですね、頭のてっぺんが柔らかいから、
親指でギューと押すと中まで入りますよ」
と笑いながら言った。

③障害児じゃなかったですか?

みうらさんの子どもが生まれた時、ニヤニヤしながら、
「障害児じゃなかったですか?」と聞いた。

④ホルマリン漬けの奇形の胎児

蛭子さんに、「うちの子供見に来ませんか?」
と誘われて行くと、そこはなんと病院の研究室。

ホルマリン漬けの奇形の胎児を見せられて、
「これが最初の子供なんですよ」と、笑顔の蛭子さん。

⑤人殺しのくせに・・・

交通事故を起こし、被害者を死なせてしまった、
大竹まことさんと共演れた際、
大竹さんに激しく突っ込まれると、
蛭子さんは、「人殺しのくせに・・・」とつぶやいた。

⑥へへ、すいません

「踊る!さんま御殿!!」でも、
岸部シローさんが、奥さんを亡くし、
独り暮らしの寂しさを語っておられた際、

蛭子さんが「奥さんと別れたんですか?」と質問。
岸部さんは「死んだんだよ!」と答えられ、
明らかに不愉快そうだったが、
蛭子さんは、「へへ、すいません」と笑顔。

⑦葬式に出席すると笑わずにいられない。

「人が死ぬと楽しい。ついおかしくて笑ってしまう。」
と、ある追悼番組でコメントし、
以来、追悼番組には呼ばれなくなった。

⑧息子を燃やす?!

自分と息子さんをモデルにした漫画の中で、
息子を段ボール箱に入れてたたき売り。

しかし売れなかったことから、
「お前なんか死んでしまえ!」と言って、息子を燃やす。

⑨腐ってたら面白いね

難民キャンプで、食料配給の場面を見て、
「あれ、全部腐ってたら面白いね。」

などなど、数多くあるのですが、
いずれも、かなり常軌を逸していますね~

蛭子さんは、少年時代や、会社員時代、
たびたびイジメに遭っており、

そのたびに、

ぐっと耐えて、ストレスは溜まるんですけど、
でもその人たちをいつも漫画の中では殺して書いてましたね。

と笑顔で語っておられたことから、

このようなご経験が、
影響されているのかもしれませんね。

嫁は?

そんな蛭子さんの、
気になる奥さんですが、

蛭子さんは、高校生の頃、画材屋さんで、
奥さんと知り合われ、交際に発展。

その後、蛭子さんが、
看板会社を辞めて、上京されたことで、
1年間は文通されていたそうですが、

1年後、奥さんも、
蛭子さんを追いかけるように、
上京され、同棲。

1972年には、
長女の史英さんの誕生をきっかけに結婚され、

1974年には、
長男の一郎さんが誕生しています。


蛭子さんファミリー♪

ちなみに、この頃、蛭子さんは、
漫画家としてデビューされたものの、
出版社の経営難で、収入を得ることができず、

しばらくは、「ちり紙交換」「ダスキン」の営業で、
生計をたてられるなど、苦しい時代が続いたそうですが、

1979年頃から、漫画家として、
収入を得ることができるようになり、

1980年代中頃からは、
タレントとしても、活躍されています。

最愛の妻死去

しかし、そんな苦労をともにした、
最愛の奥さんも、2001年、
「肺高血圧症」で他界。

蛭子さんは、奥さんについて、

人間って誰かを幸せにしたり、
喜ばせるために生まれてくると思ってるんですよ。

で、一番身近な誰かって、結局は家族でしょう。
女房は俺を幸せにするために生まれてきた。

そして俺は女房を喜ばせるのが運命だった。
そういうことではないですかね。

と、著書「ヘタウマな愛」の中で、
綴っておられます。


ヘタウマな愛 (新潮文庫)

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再婚

そして、蛭子さんは、

「寄り添う相手の居ない本当の孤独」

に襲われたそうで、

その寂しさに耐えきれず、
周囲の女性たちに、
必死でアプローチするも全て失敗。

ようやく、女性週刊誌「女性自身」
が企画した、お見合いパーティーで、
19歳年下の女性と知り合われ、

3年半に及ぶ交際の末、
2007年に再婚されたのでした。

ちなみに、現在、蛭子さんと奥さんとの間に、
お子さんはいらっしゃらないのですが、

奥さんの連れ子の希和さんが、蛭子さんの娘として、
テレビ番組にも出演されていたことがあり、

女優デビューも果たされているとのことなので、
今後の活動が楽しみですね。


「踊る!さんま御殿!!」より。蛭子さんと希和さん。

さて、いかがでしたでしょうか?

「人が死ぬと楽しい。」
と笑っておられた蛭子さんですが、

前の奥さんとのエピソードからも、
やはり、これは、
デフォルメされたキャラだったのですね。

いつも元気そうな蛭子さんも、
すでに、70歳間近。

お体には十分に気をつけて、
これからも、私達を、
あっと驚かせてほしいですね。

応援しています!!

「蛭子能収の少年時代は?ガロで漫画家デビュー!JAM?柄本明と?」

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