園子温の本名は?昔は詩人?家出で偽装夫婦生活!宗教団体にも入ってた?


高校時代から詩を作り始め、雑誌に投稿を重ねられると、「ジーパンをはいた朔太郎」と評された、園子温(その しおん)さん。その一方で、家出を繰り返し、見知らぬ女性と偽装夫婦生活を送ったり、空腹に耐えかねて勧誘されるまま宗教団体に入るなど、破天荒な人生を送られます。

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年齢は?出身は?本名は?

園さんは、1961年12月18日生まれ、
愛知県豊川市のご出身、

学歴は、
法政大学中退、

ちなみに、
園子温は本名です。

映画好きな少年時代~17歳で詩人デビュー

園さんは、幼い頃から、夜9時にテレビ放送されていた洋画を、毎晩かかさず観るほどの映画好きだったそうで、小学校6年生の時、「尊敬する人は」というテーマで卒業文集を書くことになった際には、

ほとんどのクラスメイトが「両親」と書く中、園さんだけ、イングリッド・バーグマン(ハリウッド女優)と書き、周囲のひんしゅくを買ったそうです。


若き日のイングリッド・バーグマン

(実際、園さんは、本気でイングリッド・バーグマンと結婚したい、と思うほどのファンだったそうです。)

また、高校1年生になると、授業が暇で仕方なく、月曜日から土曜日までの多くのムダな時間を、なんとか有意義にできないものかと、詩のようなものを書き始めたそうで、

「高二コース」「高三コース」「蛍雪時代」などの、高校生向け雑誌に詩の投稿を始められると、次第に、「ユリイカ」「現代詩手帳」などの、芸術雑誌 にも投稿するようになり、

「ジーパンをはいた朔太郎」

と評されるようになったのでした。

(※朔太郎とは、日本近代詩の父と言われる萩原朔太郎のこと)


萩原朔太郎詩集 (岩波文庫)

ただ、園さんは、その詩にさえ飽きて、家出を繰り返していたそうで、

当時を振り返り、

詩は、その頃、創造というより、消費だった。自分から噴出するどうしようもない灯油を、使い切る手だてにすぎなかった。

主に受験雑誌が舞台となった。つまり投稿詩である。詩は投稿するために書いた。書くことで殺人や強姦などの欲望を抑えていたと言っていい。

とも、おっしゃっていました。

偽装夫婦生活

ところで、園さんは、17歳の時に、童貞を捨てるため家出して上京されると、東京駅で出会った女性とラブホテルに行ったそうですが、なんと、ホテルで植木バサミを突きつけられ、

二つの選択肢をあげる。ひとつはいま一緒に死ぬこと、もうひとつは、あたしの田舎へ行って、旦那になりすまして家族と一緒に暮らしてゆくこと。

と、究極の二択を迫られたというのです。

で、園さんはというと、

もちろん、二番目の選択肢でお願いします、となりますよね(笑)

と、この女性の田舎に行き、偽装夫婦生活を送られたそうですが、高校生の男の子が偽装夫婦生活って、にわかには信じられませんね(笑)

ちなみに、園さんは、肝心の童貞を捨てられなかったうえ、この出来事がトラウマとなり、しばらくは、女性不信になってしまったとのことでした。

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宗教団体に加入

その後、どうやってその偽装夫婦生活から抜け出したのかは分かりませんが、

園さんは、高校卒業後、再び家出をして上京されると、行くあてもなく、所持金もなく困っているところを、たまたま、五反田の駅前で、とある宗教団体から、

神を信じますか?

と声をかけられたそうで、

信じたらメシ食えるのか?

と、聞き返したところ、

食える

と答えられたことから、ついて行かれたそうです。

そして、しばらくは、この宗教団体の教会で、掃除をしたり、授業を受けたりの生活を続けられていたのですが、

(あまりにも次元が違う生活をしていたため、どれくらいの期間だったかは全く覚えていないそうです。)

ある日、脱出をはかると、しつこく追いかけられたそうで、園さんは、追跡をかわすために、武闘派の左翼団体(三里塚のアジト)に逃げ込んで難を逃れられたそうです。

ちなみに、園さんは、洗脳されなかった理由について、

だってその教祖のおっさんが宇宙を支配してるって言われても、信じようがないでしょ。賛美歌で「シオンの丘に帰ろう~」とか歌ってる時も「俺が子温(シオン)だよ!」って思ったり(笑)

と、明かされていました♪

こうして、園さんは、ようやく普通の生活に戻られると、1984年には、法政大学に入学し映画制作グループに所属。

そして、いよいよ、8ミリ映画を手がけるようになったのでした。

「園子温の監督映画作品は?愛のむきだしで満島ひかりに!」に続く

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