エルヴィス・プレスリーのカバー曲を次々とリリースし、カントリーミュージックのアイドル的存在として人気を博した、小坂一也(こさか かずや)さんですが、15年続いた十朱幸代さんとの破局後は・・・

「小坂一也の若い頃は?ワゴンマスターズ?和製プレスリー?」からの続き

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出演作品(映画、テレビドラマ)

それでは、ここで、そのほかの小坂さんの出演作品もご紹介しましょう。

映画では、

1957年「星空の街」
     「地獄岬の復讐」
     「歌う弥次喜多 黄金道中」

1958年「ろまん化粧」
     「二等兵物語 死んだら神様の巻」
     「オンボロ人生」
     「青空よいつまでも」
     「月給一三、○○○円」
     「その手にのるな」
     「彼奴は誰だッ」
     「この天の虹」
     「危険なラブレター」


「二等兵物語 死んだら神様の巻」より。
花菱アチャコさん(左)と小坂さん。

1959年「今日もまたかくてありなん」
     「惜春鳥」
     「三羽烏三代記」
     「大学の合唱」
     「晴れて今宵は」
     「素晴らしき十九才」
     「パイナップル部隊」
     「どんと行こうぜ」


「惜春鳥」より。小坂さん(左)と藤間紫さん。

1960年「若手三羽烏 女難旅行」
     「乾いた湖」
     「銀座のお兄ちゃん挑戦す」
     「春の夢」
     「俺たちに太陽はない」
     「私は忘れない」


「春の夢」より。
(左から)山本豊三さん、十朱幸代さん、小坂さん。

     「明日はいっぱいの果実」
     「恋の片道切符」
     「はったり二挺拳銃」
     「日本よいとこ 無鉄砲旅行」
     「黄色いさくらんぼ」


「恋の片道切符」より。小坂さんと鳳八千代さん。

1961年「快人黄色い手袋」
     「恋とのれん」
     「夕陽に赤い俺の顔」
     「非情の男」
     「二階の他人」
     「のれんと花嫁」
     「ふりむいた花嫁」


「二階の他人」より。葵京子さん(左)と小坂さん。

1963年「若いやつ」
     「花の咲く家」

1964年「寝言泥棒」
     「太陽を抱く女」

1965年「可愛いあの娘」
1967年「なつかしき笛や太鼓」

1970年「喜劇 ドッキリ大逃走」
1972年「怪獣大奮戦 ダイゴロウ対ゴリアス」
1973年「新・同棲時代 -愛のくらし-」
1977年「不連続殺人事件」
1979年「衝動殺人 息子よ」
1980年「純」


「不連続殺人事件」より。田村高廣さん(左)と小坂さん。

1982年「ダイアモンドは傷つかない」
1983年「細雪」
1985年「KIDS」「愛しき日々よ」
1986年「愛の陽炎」
1987年「メイク・アップ」
     「マルサの女」
     「恋のカウントダウン」
     「私をスキーに連れてって」

1988年「バカヤロー! 私、怒ってます 」


「細雪」より。小坂さん(左)と常田富士男さん。

1990年「もうひとつの原宿物語」
1991年「仔鹿物語」
1992年「風の子どものように」
1993年「卒業旅行 ニホンから来ました」
1994年「集団左遷」
1995年「キャンプで逢いましょう」
1997年「OL忠臣蔵」
     「失楽園」

テレビドラマでは、

1963年「ポプラの歌」
1964年「〆めて七貫」
1965年「木下恵介劇場・木下恵介アワー『二人の星』」
1966年「木下恵介劇場・木下恵介アワー『記念樹』」
1967年「木下恵介劇場・木下恵介アワー『女と刀』」

1968年「東京コンバット」第30話
1969年「青空にとび出せ!」
1970年「木下恵介劇場・木下恵介アワー『あしたからの恋』」
1971年「木下恵介劇場・木下恵介アワー『二人の世界』」
1972年「喜びも悲しみも幾歳月」


「二人の世界」より。内田朝雄さん(左)と小坂さん。

1974年「若い!先生」
1975年「夜明けの刑事」第50話
1976年「非情のライセンス 第2シリーズ」第88話
1977年「新・木枯し紋次郎」第6話
1978年「特捜最前線『私だけの三億円犯人!』」
1979年「江戸川乱歩の美女シリーズ『宝石の美女』」


「夜明けの刑事」より。

1980年「Gメン’75」第250話
1981年「太陽にほえろ!」第457話
1982年「松本清張の内海の輪」
1983年「おさな妻」
1984年「新・夢千代日記」
1985年「妻たちの課外授業」


「太陽にほえろ!」より。下川辰平さん(左)と小坂さん。

1986年「セーラー服通り」
1987年「パパはニュースキャスター」
1988年「海岸物語-昔みたいに」
1989年「賀茂の蜩」
1990年「いけない女子高物語」
1991年 NHK連続テレビ小説「君の名は」

1992年「愛という名のもとに」
1993年「高校教師」
1994年「夢見る頃を過ぎても」
1995年「僕らに愛を!」
1996年「おいしい関係」
1997年「デッサン」

ほか、数多くの作品に出演されています。

十朱幸代と結婚(未入籍)

ところで、小坂さんの、気になるプライベートですが、

小坂さんは、1959年、24歳の時、映画「惜春鳥」での共演で知り合った、当時、まだ駆け出しの女優、十朱幸代さん(17歳)と交際をスタートすると、

「惜春鳥」の木下恵介監督に、

将来、幸代ちゃんと結婚したいと思っています。

と、報告されたことから、

木下監督は、十朱さんのお父さんで俳優の十朱久雄さんに、

罪のない若い2人のため、よくよく善処されますようお願い申し上げます。

と、手紙を書いてくれたそうで、お二人は家族ぐるみの交際に発展。

ただ、その後は、人気がうなぎのぼりとなった、十朱さんの仕事がどんどん忙しくなっていき、なかなか二人の時間がゆっくり取れないまま15年の歳月が経ちます。

そして、1974年、ようやく、内輪だけのアットホームな式を挙げられるも、お二人そろって、

形にとらわれる必要はない。

と、未入籍のままでおられ、

1975年1月には、十朱さんが、突如、都内ホテルで記者会見を開かれ、

1974年12月6日に、小坂さんから、一方的に別れたいと離婚を切り出されたことを明かし、

朝まで話し合ったけれどダメでした。

と、1年足らずで結婚生活を解消したことを発表されたのでした。

離婚の原因は松坂慶子との不倫

ちなみに、その離婚理由なのですが、

小坂さんは、1974年秋、テレビドラマで、松坂慶子さんと共演されて以来、松坂さんとの浮気が疑われており、

小坂さんが離婚の記者会見を開かれた際、記者から、

十朱さんとの離婚の原因は、松坂さんですか。

と、単刀直入に質問されると、曖昧に言葉を濁しながらも認めておられます。

ただ、松坂さんをかばわれていたのか、浮気ということではなく、小坂さん自身が松坂さんに一方的に惚れてしまったと、しきりに主張されていたそうです。

(なんと、小坂さんは、十朱さんと別れぬまま、松坂さんの実家に結婚を許してくれるよう出向かれたそうですが、当然、松坂さんのお父さんに追い返されてしまったそうです)

松坂と結婚前提に交際も・・・

そして、十朱さんとの離婚後は、松坂さんと結婚を前提に交際されていたのですが・・・

2年もしないうちに破局すると、1977年には、1歳下のファションモデルと結婚(入籍)され、男の子が誕生しています。

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死因は?

そんな小坂さんは、十朱さんとの破局以来、人気が低迷し、2時間ドラマや時代劇などに脇役として出演していたのですが、1990年代に入ると、激ヤセぶりが目立つようになり、やがては闘病されていることを公表。

(特に、「101回目のプロポーズ」(1991)「失楽園」(1997)年での、白髪・激ヤセぶりは顕著で、視聴者を驚かせました)

そして、1997年11月、「食道がん」のため、62歳で他界されたのでした。

さて、いかがでしたでしょうか。

若い頃がすさまじい人気のアイドルスターだっただけに、晩年がよりさみしく感じる小坂さんですが、当時、ロックンロールを日本に紹介した第一人者だったことは事実。これを機会に、小坂さんの歌声、聴いてみてはいかがでしょうか♪

「小坂一也の若い頃は?ワゴンマスターズ?和製プレスリー?」

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