1964年、9歳の小学4年生の時に「ウソツキ鴎」でデビューすると、いきなりヒットを飛ばすも、その後はまったく売れなかった小林幸子(こばやし さちこ)さん。15年もの低迷時代には、飲み屋、キャバレー、ナイトクラブ等の営業周りをする日々を送っておられたのですが・・・
「小林幸子の若い頃は美空ひばりの再来?島倉千代子?勝新?都はるみ?」からの続き
「おもいで酒」が200万枚を売り上げる大ヒット
若干9歳で20万枚のヒットを飛ばした小林さんですが、
その後は、映画やテレビドラマには出演するも、肝心の歌はサッパリ売れず。
そこで、なりふり構わず、
小林幸子(日本コロムビア)
⇒小林さち子(ビクターエンタテインメント)
⇒岡真由美(テイチク)
⇒小林幸子(ワーナー・パイオニア)
と、改名したり、レコード会社を移籍されるのですが、
それでも、状況は好転せず。
ついに、1977年、24歳の時には、
雑誌「平凡パンチ」のグラビアで、水着姿やセミヌードまで披露されると、
執念が通じたのか、1979年、
シングル「六時、七時、八時あなたは・・・」をリリースすると、
B面に収録されていた「おもいで酒」が、大阪有線放送局で、
初の総合1位となるなど注目され始めたことから、
AB面を入れ替えてジャケットを変更し、同年1月25日、
28枚目のシングル「おもいで酒」として再発売すると、
初登場時は77位も、徐々に人気に火がつき、
発売から4ヶ月後には、オリコントップ10にランクイン。
そして、17週目には、ついに1位を獲得し、
この年の「第21回日本レコード大賞」最優秀歌唱賞、
「第10回日本歌謡大賞」放送音楽賞に輝くほか、
念願の「第30回NHK紅白歌合戦」へも、
初出場を果たされたのでした。
ちなみに、小林さんは、前年の1978年の大晦日、
熱海への興行終了後、マネージャーやスタッフと一緒に紅白を見ながら、
来年こそは絶対にヒット曲を出して紅白へ出たいな!
と、話していると、スタッフ達に
幸っちゃん、絶対無理だよ!!
と、笑われてしまったそうですが、
翌年には本当にヒット曲を出して、「紅白歌合戦」に初出場でき、
夢のようだったと語っておられました。
「とまり木」「ふたりはひとり」「もしかしてPartII」「雪椿」もヒット
その後の小林さんは、翌年の1980年にリリースした、
29枚目のシングル「とまり木」も58万枚を売り上げるヒットを記録し、
「とまり木」
以降も、
1980年6月「ふたりはひとり」
1981年6月「迷い鳥」
1982年1月「泣かせやがってこのやろう」
1983年1月「ふたたびの」
1984年9月「もしかしてPartII」(美樹克彦とのデュエット曲)
1985年2月「夫婦しぐれ」
1986年2月「別離(わかれ)」
1987年6月「雪椿」
など、ヒットを連発すると、紅白への連続出場も果たし、
1991~2009年には、美川憲一」さんとの派手な衣装対決が、
紅白の恒例行事となるなど、大きな話題をもたらされています。
(美川さんとはデビュー前後から古賀政男さんのもとで、
一緒にレッスンを受けていたそうで、年齢は離れているものの、
親交が深く「憲ちゃん」「さっちゃん」と呼び合うほど仲が良く、
バラエティ番組などでも共演されています。)
ポケモン
また、1997年には、アニメ「ポケットモンスター」のエンディングテーマ
「ポケットにファンタジー」を歌唱されるほか、
イマクニ?さん、レイモンド・ジョンソンさんとの3人のユニット「スズキサン」
を結成して、シングル「とりかえっこプリーズ」をリリース。
(「ポケモンカードゲーム」のCMソングに起用されています)
(「ポケモンカードゲーム」は、1996年の発売以降、2006年まで、
全世界で累計215億枚以上を売り上げる大ヒットしており、2016年には、
「ポケモンカードゲーム20周年カウントダウンイベント」が開催されるにあたり、
小林さんら3人が20年ぶりに「スズキサン」を再結成されています)
(左から)イマクニ?さん、小林さん、レイモンドさん。
翌年の1998年にも、「劇場版ポケットモンスター ミュウツーの逆襲」
のエンディングテーマ「風といっしょに」を担当されると、
同年「第49回NHK紅白歌合戦」では同曲を熱唱し、
小林さんのファン、ポケモンのファンなど、多くの視聴者を魅了されたのでした。