1964年に、ホームドラマ「袋を渡せば」で本格的に脚本家デビューして以来、90歳を回った現在も、現役の脚本家として活躍されている、橋田壽賀子(はしだ すがこ)さんですが、今回は、そんな橋田さんのご主人との馴れ初めやエピソードをご紹介します。

「橋田壽賀子のデビューからの脚本ドラマ映画を画像で!」からの続き

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TBSのプロデューサー・岩崎嘉一と結婚

橋田さんは、1966年、41歳の時、TBSのプロデューサー・岩崎嘉一さんと結婚されています。

お二人は、ホームドラマ「ただいま11人」で知り合うと、TBSのプロデューサー・石井ふく子さんが橋渡し役となって交際に発展したそうで、それから2~3ヶ月で結婚に至ったそうです。(結婚式は挙げなかったそうです。)


岩崎嘉一さんと橋田さん。(結婚直後、知人の仲人をした時の写真だそうです)

不純な動機で結婚していた?

ただ、橋田さんが結婚を決意したのは、不純な動機だったそうで、

当時、橋田さんは、1964年、脚本を担当した、「愛と死をみつめて」(骨肉腫になった女子学生とその恋人の実話を基にしたドラマ)が高視聴率を記録し、一躍、テレビドラマの脚本家として知名度を上げ、以降、立て続けに数多くのTBSのテレビドラマで脚本を執筆されていたのですが、

「愛と死をみつめて」以降はパッとしなかったことから、脚本家としての自信を失い、この先食べていけるか将来に不安を抱えていたそうで、そのため、「安定した収入があるサラリーマンの妻」はいい就職先だと思い、

専業主婦になってもいいし、仕事を続けても後ろ盾があれば、脚本に口出ししてくる人たちに「それなら降ります」と強気に出られます。結婚はそんな不純な動機だったんです

と、結婚を決意したというのです。

(当時の橋田さんのドラマの脚本料が3万円位だったのに対し、ご主人のお給料は30万円位あったそうです)

結婚後は「家庭優先」で睡眠時間4時間の日々

実際、ご主人の岩崎さんは典型的な亭主関白で、橋田さんは、岩崎さんから、

シナリオライターと結婚する気持ちはないから、家庭を大事にしてくれ。俺がいるときは原稿用紙を広げるな。

と、結婚前から言われていたほか、橋田さんも子どもが欲しかったことから、橋田さんは、一旦、仕事を辞められており、

(それ以外にも結婚の条件として、不倫と殺人は絶対に書かないというのがあったそうです)

その後、なかなか、子どもに恵まれなかっことから、ご主人に仕事の再開を許してもらうも、家庭優先の約束どおり、仕事を始めるのはご主人の出勤後で、その後は家事をこなし、ご主人が寝た後に再び書き始める、という睡眠時間4時間のハードな生活を数十年続けられたのだそうです。

ちなみに、橋田さんいわく、周囲からは「よく我慢しているわね」と呆れられたそうですが、

それも、41歳で結婚したことに、

お嫁にしてもらえた

と、謙虚な気持ちがあればこそだったと、笑っておられました。

夫が「肺ガン」で余命半年と宣告されるも知らせずに看病し続けていた

それでも、結婚後の橋田さんは、1976年には、「となりの芝生」、1981年には、NHK大河ドラマ「おんな太閤記」、1983年には、「おしん」などのヒット作を生み出し、お仕事は順調だったのですが、

1988年には、ご主人が「肺ガン」で余命半年と宣告されます。

この時、橋田さんは、NHK大河ドラマ「春日局」を執筆中だったそうで、一時は、ご主人の看病のため、降板しようとしたそうですが、

病名を知らず、橋田さんの脚本を楽しみにしていたご主人のため書き続けようと決めると、その後は、ご主人に「肋膜炎」と嘘をつき続けて脚本を書きあげたのだそうです。

そして、1989年9月にご主人は他界。

橋田さんは、インタビューで

結婚した以上、絶対に喧嘩をしない、言い返さないと心に決めていました。亭主関白も計算の上で結婚しました。それが私の信念。愛していたから我慢もできた。なんか、のろけてしまいまして、すみません。

と、語っておられるのですが、

ご主人に「ガン」であることを伏せ、看病されていたこの1年間が、人生の中で最も辛い時だったとおっしゃっていました。

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「橋田文化財団」設立は夫の願いだった

ところで、ご主人は、生前、

放送文化の発展のため、若手脚本家らを育成する橋田文化財団を作ろう

と、おっしゃっていたそうで(財団を作るには3億円必要だったそうです)、

お金が足りなかった橋田さんは、1年間の連続ドラマの脚本を書くという約束でTBSからお金を借りられているのですが、こうして生まれたのが、大ヒットドラマ「渡る世間は鬼ばかり」だったそうです。

そして、1992年、橋田さんは、念願の「橋田文化財団」を設立されているのですが、

25年間、病気もしないでやってこられたのは、主人が「がんばってくれ」と言っていることだと、感謝しています。

と、今もなお、ご主人への尽きることのないの想いを語っておられました。

「橋田壽賀子の自宅は熱海でコロナ禍でも自粛生活を満喫!」に続く

橋田さんとご主人の岩崎さん。

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