夏八木勲の死因は?遺作は?家族妻子は?鎌倉自宅から電車通勤?


近年はいぶし銀のような味わい深い演技で名脇役として活躍されていた、夏八木勲(なつやぎ いさお)さんですが、2012年、体調不良から検査を受けられると、まさかの病気が判明します。

「夏八木勲の若い頃は?デビューは?戦国自衛隊では千葉真一並の筋肉!」からの続き

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妻は?

そんな夏八木さんの気になるプライベートですが、
夏八木さんは、1968年、29歳の時、一般女性のまり子さんと結婚されています。

実は、まり子さんは、日本人とイギリス人のハーフで、
まり子さんが当時働いていた職場の同僚男性によると、

若い頃は、京都のマネキン人形製造会社に勤めるかたわら、
夜は、四条河原町の辺りにあった「サントリーバー」というバーで働いており、

1967年頃、そのバーに夏八木さんがふらりと現れたそうですが、
美人だったまり子さんは男性客に大変な人気で、
まり子さん目当てに毎日お店に通うお客もいるほど。

当初は夏八木さんも、そんなお客の一人だったそうです。

ただ、やがて夏八木さんはサントリー角瓶のボトルを入れ、
週3回くらい通うようになると、カウンター越しにまり子さんを口説き、
2人はあっという間に交際に発展。

(当時、夏八木さんは、まだ無名の俳優で、誰も夏八木さんのことを
 知らなかったそうですが、その様子があまりにもラブラブだったため、
 まり子さんに熱を上げていた学生が、悔しがって、素手でグラスを
 割ってしまったこともあったとか)

そして、2~3ヶ月後には、まり子さんが、

今度、夏八木さんと食事デートするの。
お母さんを紹介することになっているのよ。

と、この男性に打ち明けられ、
さらにその数カ月後には、夏八木さんが、

今度、東京へ行くことになった。

と、言い残してお店に来なくなり、
同時期に、まり子さんもお店を辞めたのだそうです。

ちなみに、夏八木さんは、家庭では一切仕事の話をしなかったため、
ご家族は、作品が完成するまで、夏八木さんがどんな作品に出演しているのか知らず、

また、その逆に、仕事場では(所属事務所にさえも)一切、
ご家族の話をしなかったそうで、しっかりと公私を分けられていたようです。


晩年の夏八木さん夫妻

娘は?息子は?

結婚後は、2人の女の子が誕生しているのですが、
どちらも情報がないことから、一般のお仕事をされているようです。

ちなみに、「息子」で多くの方が調べられていますが、
息子さんはいらっしゃらないようです。

死因は?

公私共に順調だった夏八木さんですが、2012年頃から体調が思わしくなくなり、
同年11月上旬、検査を受けられると、「膵臓(すいぞう)がん」が判明。

ただ、医師と相談のうえ、手術はせずに化学療法(抗がん剤)での治療を選択されると、
ご家族や親友の千葉真一さんをのぞき、周囲には病気のことを伏せて活動を続けられ、
仕事のペースを緩めることはなかったそうです。

(千葉さんによると、「膵臓がん」発覚後しばらくは、
 ご家族にも黙っておられたとのこと)

そんな中、2012年10月公開の主演映画「希望の国」では、
「最優秀主演男優」を受賞され、2013年3月24日、群馬県高崎市で開かれた、
「高崎映画祭」の授賞式ではうれしそうな笑顔を見せておられたのですが


「高崎映画祭」授賞式より。(左から)三宅唱監督、満島真之介さん、高梨臨さん、窪田正孝さん、
溝端淳平さん、安藤玉恵さん、夏八木さん、田畑智子さん、松たか子さん、西川美和監督、井筒和幸監督。

5月2日、都内で行われた「日本映画批評家大賞」の授賞式では、
「ゴールデン・グローリー賞」(日本映画の発展に貢献した俳優に贈られる賞)
を受賞されるも、風邪を理由に欠席。

妻のまり子さんが代理で出席され、

過分な賞をいただきました。
好きなことを好きなようにやってきた賞で・・・。恐縮でございます。

と、夏八木さんのメッセージを代読されています。


(前列左から)奥さんのまり子さん、林与一さん、石濱朗さん、
久保明さん、松原智恵子さん、小林旭さん。

そして、2013年5月9日には、突然、体調が悪化。

腹部に強い痛みを訴えられ、一旦、入院されるのですが、
5月11日、ご本人の意志で自宅に戻られると、

まり子さんと2人の娘さんに見守られながら、
眠るように息を引き取られたのでした。

自宅がある鎌倉ではボランティア活動

実は、夏八木さんは、地元・鎌倉の「チームサムライ」という市民団体の、
「名誉世話人」として地元のまちづくりにも関わっていました。

「チームサムライ」は、防犯ボランティア団体「鎌倉ガーディアンズ」の、
大津定博さんらが中心となって2011年に発足したものなのですが、
夏八木さんは、2012年、メンバー募集のチラシをたまたま見て、

30年以上住んで子どもや家族を育ててもらった鎌倉に恩返しがしたい

と、自ら大津さんのもとに電話をかけて、活動に参加されたとのこと。

(撮影で全国を飛び回っていたため、活動に参加できないことも多かったそうですが、
 その都度、大津さんに不参加を詫びるファックスや電話をされていたそうです。)

また、ガンが判明した後も、ご当地ナンバーの推進運動に参加されるほか、
映画「希望の国」の撮影中には、鎌倉から撮影地の埼玉県深谷市まで、
2時間以上かけて電車通勤されていたそうで、

夏八木さんが、いかに、
鎌倉という地を愛しておられたかが伝わってきますね。


「チームサムライ」の会合に参加された夏八木さん(写真中央)

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遺作は?

さて、いかがでしたでしょうか。

千葉さんによると、治療をしながら仕事を続けられていた夏八木さんは、
とても苦しそうだったそうですが、そんな中でも、

2012年10月期の連続ドラマ「ゴーイング マイ ホーム」に、
レギュラー出演されるほか、

亡くなった年の2013年には、なんと、出演映画が6作も公開と、
執念とも言えるほどの俳優魂を見せつけられており、(遺作は「ソ満国境 15歳の夏」


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様々なエピソードから、亡くなるまで信念を曲げなかったことや、
情に厚く、律儀で誠実だった夏八木さんのお人柄が現れていますね。

この機会に夏八木さんの出演作品をご覧になってはいかがでしょう。

夏八木さんのご冥福をお祈り致します。

「夏八木勲の若い頃は?デビューは?戦国自衛隊では千葉真一並の筋肉!」

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