強い信念から独立独歩で仕事をこなし、様々な映画賞に輝かれた、左幸子(ひだり さちこ)さんですが、プライベートでは想像だにしなかった出来事が起こります。

「左幸子の若い頃は飢餓海峡にっぽん昆虫記などの映画!妹は左時枝!」からの続き

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夫は羽仁進!娘は羽仁未央!

左さんは、1950~1952年頃、当時、まだ早稲田大学の学生だった、脚本家の白坂依志夫(しらさか よしお)さんと「新東宝」の若手俳優らとともに劇団を結成すると、演劇活動に熱中していたそうですが、そのかたわら、交際されていたようで、

後に白坂さんが、若き日を綴った著書「不眠の森を駆け抜けて」(2013年発売)で、

国体にまで出た鍛えた身体と、演歌歌手のバタヤン(田端義夫さん)に、
散々弄ばれて覚えこんだ性技で、左さんは私を何度も頂点に・・・

と、左さんとの関係を赤裸々に明かされています。


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その後、左さんは、1959年10月、
新進気鋭の映像作家だった羽仁進さんと結婚されているのですが、

1963年、夫婦でタッグを組んだ映画「彼女と彼」が、「にっぽん昆虫記」(1963年、今村昌平監督)とともに「ベルリン国際映画祭」に出品されると、左さんは、日本人初の女優賞を獲得。

翌年の1964年2月には、女の子(エッセイストの羽仁未央さん)を出産されるなど、公私共に順調満帆な生活を送られているかと思われたのですが・・・


羽仁進さんと左さん。

離婚

いつの頃からか、2人には破局説が流れ始めるようになり、

当初、ご主人の羽仁さんは、

お互いの仕事のために別々に住んでいるだけで、
即、離婚にはつながらない。

と、周囲に説明していたのですが、その時はすでに修復不能となっていたようで、
その噂を決定づけるように、1975年に別居されると、1977年には離婚。

そして、羽仁さんは、離婚からたった4ヶ月後に再婚されているのですが・・・

その再婚相手というのは、
なんと、左さんの実の妹、額村喜美子さんだったのです。

(喜美子さんは、3男5女の7番目で、左さんよりも13歳年下でした)

離婚理由は実妹の略奪

実は、左さんと羽仁さんの間に、一人娘・未央さんが生まれて間もない1964年2月、美術大学を卒業した喜美子さんが、女優として多忙だった左さんの代わりとして、未央さんの世話をするために羽仁家に出入りするようになるのですが、このことで、羽仁さんと喜美子さんが急接近。

(この頃、左さんは、映画「幕末太陽傳」「にっぽん昆虫記」の好演で、オファーが殺到していました)


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その後、喜美子さんは「羽仁プロ」に入って、プロデューサーも務めるようになっていたとのことで、常に行動を共にしている男女の間に恋愛感情が芽生えるのも、自然なことだったのかもしれません。

そして、1974年初頭のある日のこと、左さんは、娘の未央さんとスケートに行く約束をしていたのですが、いつまでたっても未央さんは、約束の場所に現れず・・・

それもそのはず、未央さんは、左さんに一言も告げずに、お父さんの羽仁さんと不倫相手の喜美子さんとともにアフリカに渡るため、日本を発ってしまっていたのです。
(羽仁さんは、30年近く、アフリカやオーストラリアなどでの海外ロケで野生動物を撮影し続けていました)

その後、この事実を人を介して知った左さんは、パニックになり、発作的にカミソリで手首を切って自殺を図るも、溢れ出した血を見て我に返ると、ばんそうこうで応急処置をし、事なきを得たのですが、興奮は収まらず、再びカミソリを握ると、髪の毛を半分切り落としてしまったそうで、

それから、1年以上も音信不通のすえ、羽仁さんたちはようやく帰国されるのですが、3人が左さんのいる家に戻ってくることはなく、そのまま別居・離婚となったのでした。


左さんの実妹・喜美子さんと羽仁進さん夫妻。

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死因は?

それでも、左さんは、喜美子さんには気を遣って、恨み言をもらすことは決してなかったそうですが、以前にも増して仕事に精を出すようになると、酒浸りとなってしまい、1985年には「胃がん」が発覚。

胃の一部摘出手術を行われた後は、長い療養生活を送り、ようやく、1991年に、舞台「糸女」で復帰されると、その後は、「快傑熟女!心配ご無用」のレギュラーパネルリストとして出演されるなど、バラエティにも進出し、歯に衣着せぬ発言で人気を博すのですが・・・

そんな中、「胃がん」が再発。

胃の全摘手術を受けられるも、がんは肺に転移し、2001年11月、「肺がん」のため、71歳で他界されたのでした。

ちなみに、左さんの自宅で営まれた密葬には、親族が100人ほど参列されたそうですが、羽仁さん、喜美子さん、未央さんの姿はなく、

親族から実母の死を知らされた未央さんは、

あの方とは親交がなかったから

とだけ、答えられたそうです。

そして、そんな未央さんも、2014年11月、
「肝不全」のため、50歳という若さで他界されたのでした。

さて、いかがでしたでしょうか。

左さんは、かつて、自身が出演した映画「若き日のあやまち」「踏み外した春」は、まさに自分の人生を象徴している題名だと語っておられたことがあったそうで、映画女優としては輝かしい実績を残すも、それと引き換えに、プライベートでは、ご主人と不倫相手の妹はともかく、実の娘にまで裏切られるという、辛い経験をされていたのですね。

あまりにも自己主張が強すぎて、一時期は、映画会社から嫌がられていたとも言われており、ご家族もついていけないところがあったのかもしれませんが、それでも、妹、喜美子さんへの恨み言は一言も漏らさなかったところに、左さんのプライドの高さが現れています。

これを機会に、そんな左さんの出演作品をご覧になってはいかがでしょうか。

左さんのご冥福をお祈り致します。

「左幸子の若い頃は飢餓海峡にっぽん昆虫記などの映画!妹は左時枝!」

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