大場久美子の若い頃がかわいい!コメットさん?スプリングサンバ?


1977年、ファーストシングル「あこがれ」をリリースして、「一億人の妹」のキャッチコピーで売り出すと、翌年の1978年には、テレビドラマ「コメットさん」のヒロイン・コメットさん役で、たちまちブレイクされた、大場久美子(おおば くみこ)さん。ブロマイドの売上は2年連続1位になるなど絶大な人気を博しました。

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年齢は?出身は?身長は?本名は?

大場さんは、1960年1月6日生まれ、
埼玉県川口市のご出身、

身長153センチ、

スリーサイズは、83-58-83、

靴のサイズは23センチ、

血液型はA型、

学歴は、
鳩ヶ谷市立中居小学校
⇒鳩ヶ谷市立八幡木中学校
⇒東京成徳短期大学附属高等学校商業科高校
⇒(転校)堀越高等学校卒業

趣味は、料理、

ちなみに、大場久美子は本名で、
愛称はクーミンです。

若い頃は「コメットさん」でブレイク

大場さんは、1973年、13歳の時、劇団に入団すると、
翌年の1974年には、「愛の山河」でテレビドラマデビューし、

1975年、15歳の時には、NET(現在のテレビ朝日)のオーディション番組
「決定版!あなたをスターに」で審査員特別賞を受賞して、芸能プロダクション
「ボンド企画」にスカウトされ、本格的に芸能活動を開始すると、

1977年には、ハウス食品のプリンのCMなどで話題となり、
同年6月には、ファーストシングル「あこがれ」で歌手デビュー。


「あこがれ」

翌年の1978年には、映画「HOUSE/ハウス」で、
準主役の「ファンタ」役に抜擢されるなど、
レコードデビューと合わせて本格的に売り出され、


「HOUSE/ハウス」より。

「一億人の妹」というキャッチフレーズのもと、

1977年10月「追いかけないで」
1978年2月「大人になれば」
     6月「エトセトラ」

と、立て続けにシングルをリリースすると、
親近感を感じさせる魅力で、若い男性を中心に人気を博します。

そして、1978年、18歳の時には、テレビ番組「コメットさん」(第2期)で、
2代目コメットさんを演じられると、その名が全国に知れ渡り、たちまちブレイク。


「コメットさん」より。

ブロマイドが爆発的に売れて、
一躍トップアイドルの仲間入りを果たされたのでした。

(ブロマイドとはスターの肖像写真のことで、当時、ブロマイドの売上は、
 芸能人の人気のバロメーターとなっていました)

ちなみに、大場さんは、「コメットさん」のオーディションの時のことを、

持ち歌の「大人になれば」をアカペラで歌ってみなさいと言われたんですが、
緊張して歌えなかったんです。それで悲しい顔をしていたら、
その表情がいい、ということになって合格ですよ。

と、明かされているのですが、

もともと、制作サイドは、他人の痛みがわかる、陰のある女の子を探していたそうで、
それが大場さんにぴったりはまったようです。

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堺正章と「NTV紅白歌のベストテン」の司会

そして、翌年の1979年、19歳の時には、7枚目のシングル
「スプリング・サンバ」が自身最大のヒットを記録すると、


「スプリング・サンバ」

(ただ、当時の大場さんは、レギュラー番組を7本も抱える売れっ子で、
 歌番組に出演する時間はなかったそうです)

同年4月には、「NTV紅白歌のベストテン」の紅組司会者に抜擢され、
白組司会者の堺正章さんと絶妙なトークを繰り広げて人気を博すのですが、

大場さんご本人は、

司会はとても苦手でした。

台本をまる暗記して、一字一句間違わないようにはしていたんですが、
曲紹介で曲名を間違えたり、ちょっとアクセントが違ってたりすると、
歌手の人からキッとにらまれちゃったり、“何なの”という顔でこちらを見るんです。

さらに、その歌手のマネジャーさんがやって来るし、
いつも緊張してドキドキしてました。

と、明かされており、

その後1年で「NTV紅白歌のベストテン」を降板すると、
同時にアイドル卒業宣言して、歌手活動も停止。

(もともと、歌手は2年間だけという予定だったそうです)

以後は本格的に女優としての道を歩み、
テレビドラマ、映画、舞台にと幅広く活動されます。

「大場久美子の前夫との離婚理由は?病気に実家全焼に自己破産?」に続く

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