「世界ふしぎ発見!」などのクイズ番組や健康バラエティー番組の司会など、テレビキャスターとして活躍されている、草野仁(くさの ひとし)さん。そんな草野さんのルーツについて調べてみました。

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年齢は?出身は?身長は?本名は?

草野さんは、1944年2月24日生まれ、
満州国・新京(現:中国吉林省長春)のご出身(長崎県島原育ち)、

身長170センチ、

胸囲116センチ、
胴回り88センチ、

血液型はA型、

本名は、芸名と同じく草野仁、

趣味は、競馬、
特技は、ゴルフ、

学歴は、
島原市立第一小学校
⇒島原市立島原第一中学校
⇒長崎県立島原高等学校
⇒長崎県立長崎西高等学校(転校)

そして、なんと、「東京大学」文学部社会学科を主席で卒業されています。

ちなみに、お父さんは数学者、お母さんは音楽教師で、2人のお兄さん(12歳上と10歳上)も「東京大学」卒で、上のお兄さんは数学者、下のお兄さんは翻訳家という、超エリート一家です。

文武両道

草野さんは、子どもの頃から運動神経が抜群で、特に、足が速く、小学校時代は何の努力もせずに校内1位、中学生の時には100メートル走で長崎県1位に輝き、高校生の時には100メートル走11.2秒という、当時のインターハイ決勝進出レベルという驚異的な記録を打ち立てます。


少年時代の草野さん。

こうして、草野さんは、

将来は全日本クラスの選手になりたいな

と、ぼんやり考えていたのですが・・・

ある日、突然、お父さんから、

お前は精神的にもろいから運動で大成はせんだろう。それにスポーツマンとしての人生は短い。腰を据えて、しっかり勉強しろ!

と、強制的に陸上部を退部させられてしまったそうで、

2人のお兄さんが東京大学へ行っていたことから、草野さんも東京大学を目指すのですが、こんな状況で勉強に身が入るわけもなく、結局、受験は失敗。

(お兄さんたちには京都大学に進学することを勧められたそうですが、お兄さんたちが東大生なのにと、アドバイスをしてれたこともよく理解できず、自分も東大をと思われたそうです)

ただ、当時、合格発表は駒場キャンパスのバレーコートで行われていたのですが、草野さんは、自分の番号がないと分かった時、自然と悔し涙があふれたそうで、この悔しさから浪人を決意。

その後、1年間勉強に励まれると、翌年の受験では見事合格。晴れて東大生となられたのでした。

(合格発表は、不合格者の涙が他人に見られてはかわいそうだという配慮で、決まって辺りが暗くなった夜にあったそうです)

ちなみに、後に、草野さんはその時のことを、

今にして思えば、父は私の将来を真剣に案じてくれたのだと分かりますが、当時の私としては、たまったものじゃありませんね。

と語っておられます。


東大時代の草野さん。

学生運動に幻滅

そして、東大に通うべく上京された草野さんですが、当時、東大では、「日米安保条約改定」にからむ闘争の影響で、政治的雰囲気一色に染まり、学生運動まっさかり。

草野さんは、九州の田舎育ちで純粋だったことから、てっきり、学生運動に参加する人は、世界を良くしようと本気で努力していると信じていたため、友達に誘われて、学生運動の会合に参加するのですが・・・

その時、草野さんの隣に座っていた学生たちがいきなり殴り合いの乱闘を始めたことから、

どうしたんですか!

と、慌てて仲介に入ったそうですが、

その乱闘が、勢力争いをする派閥間で起きたいざこざと聞くと、

なんだ、彼らのやっていることは世界を良くすることとは全然違うじゃないか

と、学生運動の実態を知って幻滅してしまったのでした。

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東京大学を主席で卒業

こうして、草野さんは、学生運動に参加することをやめると、勉学に励もうと決意。

以来、授業はすべて出席するよう努め、周りの友人たちが「あの先生の話は退屈だ」と愚痴をこぼすような先生の話でさえも、最前列中央に座り、少しでも先生から学び取ろうとすると、自然と知識が頭に定着していったそうで、試験前はノートを見返す程度で、試験対策の勉強はせずに済んだそうで、

余った時間は、当時交際していた上智大学生の彼女と映画やコンサートを楽しむなど、とても優雅な学生生活を送りながらも、見事、主席で東大を卒業されたのでした。

「草野仁の筋肉が凄い!若い頃はNHKアナ!退職理由は?」に続く

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