「忍ぶ川」「砂の器」「そして戦争が終わった」「命のビザ」など、正義感の強い役や逆境を乗り越える力強い男の役を多く演じ、高い評価を得た、加藤剛(かとう ごう)さんですが、プライベートもまた、役柄そのままの人柄だったようです。

「加藤剛の生い立ちは?若い頃は二枚目俳優!大岡越前は30年も!」からの続き

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出演作品(テレビドラマ、映画)

それでは、ここで、加藤さんの主な出演作品をご紹介しましょう。

テレビドラマでは、

1962年「人間の條件」
1964年「剣」
1966年「わが心のかもめ」
1967年「北斗の人」
1969年「孤独のメス」
1970~1999年「大岡越前」
1971年「太陽の涙」


「太陽の涙」より。加藤さんと山本陽子さん。


「大岡越前」より。竹脇無我さんと加藤さん。

1972年「新・だいこんの花」
1973年「剣客商売」
1974年「ヨイショ」
1975年「金曜劇場 ちんどんどん」
1976年 NHK大河ドラマ「風と雲と虹と」
1977年「海は甦える」
1978年「風が燃えた」


「剣客商売」より。山形勲さんと加藤さん。

1979年「大いなる朝」
1980年「蒼き狼 成吉思汗の生涯」
1981年「関ヶ原」
1982年「ザ・サスペンス『温情判事』」
1983年「花隠密」
1984年「想い出のグリーングラス」
1985年「そして戦争が終った」

1992年「命のビザ」
1993年「孤臣 お命守り申し候」
1994年「冬の訪問者」
1997年「校長がかわれば学校が変わる!」
2001年「殺意の果てに 飛騨高山夫人絞殺事件」
2003年「北朝鮮拉致・めぐみ、お母さんがきっと助けてあげる」
2004年「教授検事・東京地検特捜部」


「殺意の果てに 飛騨高山夫人絞殺事件」より。竹下景子さんと加藤さん。

2005年「捜査検事・右近誠の殺人調書」
2008年「金曜時代劇 密命 寒月霞斬り」
2009~2011年「坂の上の雲」
2011年「南極大陸」
2012年「負けて、勝つ~戦後を創った男・吉田茂~」
2016年「百合子さんの絵本 ?陸軍武官・小野寺夫婦の戦争?」
2017年「大岡越前スペシャル 白洲に咲いた真実」
     「事件 18」


「大岡越前スペシャル 白洲に咲いた真実」より。
加藤頼さん(左)と加藤剛さん(右)。

映画では、

1963年「死闘の伝説」
1964年「五辧の椿」
1965年「獣の剣」
1966年「ヒロシマ一九六六」
1967年「上意討ち 拝領妻始末」
1969年「天狗党」
1970年「戦争と人間 第一部 運命の序曲」

1971年「戦争と人間 第二部 愛と悲しみの山河」
1972年「忍ぶ川」
1973年「忍ぶ糸」
1974年「砂の器」
1975年「化石」ナレーション
1976年「北の岬」
1978年「雲霧仁左衛門」


「砂の器」より。

1979年「夜叉ヶ池」
1980年「父よ母よ!」
1983年「この子を残して」
1984年「空海」
1986年「新・喜びも悲しみも幾歳月」
1987年「次郎物語」
1989年「千利休 本覺坊遺文」


「新・喜びも悲しみも幾歳月」より。加藤さんと植木等さん。

1992年「復活の朝」
1993年「わが愛の譜 滝廉太郎物語」
1997年「草刈り十字軍」
2000年「郡上一揆」
2001年「伊能忠敬 子午線の夢」
2003年「ウイニング・パス」
2004年「同窓會」

2005年「アダン」
2007年「筆子・その愛 -天使のピアノ-」
2009年「沈まぬ太陽」
2010年「いのちの山河~日本の青空II~」
2013年「舟を編む」
2018年「今夜、ロマンス劇場で」


「今夜、ロマンス劇場で」より。

ほか、数多くの作品に出演されています。

ちなみに、「大岡越前」をはじめ、1972年「忍ぶ川」、1974年「砂の器」、1985年「そして戦争が終わった」、1992年「命のビザ」など、正義感が強い役や逆境を乗り越えようとする力強い男の役を数多く演じられています。

妻は?息子は?

そんな加藤さんの気になるプライベートですが、加藤さんは、女優で声優の伊藤牧子(いとう まきこ)さんと結婚されています。

(伊藤さんは、人形劇「ひょっこりひょうたん島」のダンプ役の声を演じて人気を博し、そのほかにも、テレビアニメ「かみなり坊やピッカリ・ビー」(1967)、「ファイトだ!!ピュー太」(1968)、劇場アニメ「わんわん忠臣蔵」(1963)、「ガリバーの宇宙旅行」(1965)、「少年ジャックと魔法使い」(1967)などのアニメ作品で声優として活躍されました。)

お二人は、早稲田大学の演劇サークル「自由舞台」(のちの「早稲田小劇場」)で知り合われたそうで、いつ頃結婚されたかは不明ですが、1975年には、長男の大治郎さんが誕生。

大治郎さんは、大学卒業後、アルトサックス奏者として活動されていましたが、2000年には俳優に転身され、「夏原諒(なつはら りょう)」名義で活動されています。

そして、1980年には、次男の小次郎さんが誕生。小次郎さんも同じく、俳優として、「加藤頼(かとう らい)」名義で活動されています。(剛さんがおられた「俳優座」に所属されています)


加藤頼さん(左)と夏原諒さん(右)

加藤さんは、子どもたちが小さい頃は、京都で撮影があっても、必ず週末には自宅に帰って、子どもたちを肩車して家の中をまわったり、庭でかけっこをして遊ぶなど、家族でいる時間をとても大切にされていたそうで、

長男の夏原さんが独立して一人暮らしを始めた時も、

めずらしいものがあったから買ってきたよ

と、普段は買い物をしないのに、「ペヤング」のカップ焼きそばを買って夏原さんの自宅を訪ねられるなど、とても子煩悩な優しいお父さんだったそうです。

ちなみに、ペヤングを買ってきた加藤さんは、

これは焼かないのに焼きそばができるらしいんだ。おもしろいからちょっと一緒に食ってみよう。

と、おっしゃったそうですが、夏原さんは、

珍しくないよ

とは言わずに、

ああ、そうなんだね

と言って、二人でペヤングをしみじみと食べられたのだそうです♪

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死因は?

ところで、加藤さんは、2017年に次男の頼さんと「徹子の部屋」に出演されているのですが、そのあまりの激ヤセぶりが大きな話題となりました。

すると、やはり、翌年の2018年3月末には体調を崩され、病院で診察を受けられると、診断結果は「胆のうガン」

それでも、加藤さんは、

すぐ元気になるから大丈夫だ

と話して、入院され治療を受けられると、一時退院されるまでに回復されたのですが、

それからたった3ヶ月後の6月18日、「胆のうガン」のため、奥さんと2人の息子さんに看取られ、他界されたのでした。

ちなみに、頼さんは、取材に対し、

父は苦しみのない顔でした

と、安らかに息を引き取られたことを明かされています。

さて、いかがでしたでしょうか。

長男の夏原さんは、加藤さんのことを、

声を荒らげて怒ったことは1度もありません。いい俳優になるということよりも、「人間として上質であること」「人間として美しい生き方をすること」「人に恥じない生き方をすること」を常に優先していたんじゃないかと思います。

あれだけ嘘がない人はいないですね。人の悪口を言ったことは1度もなく、常にいい部分を見ていました。だから僕も怒られたことがなかったのかもしれません。

自分のやっていることと役のキャラクターが見事に一致した稀有な例ですよね。いい人の役をやっている人が、本当にいい人とは限らない世界ですから。父は大岡越前そのものでしたよ。

と、語っておられるのですが、

二枚目でありながら、浮かれることなく家族を大切にし、たばこも酒もギャンブルもせず、品行方正を絵に描いたような加藤さんは、まさに、現代の「大岡越前」だったのですね。

加藤さんのご冥福をお祈りいたします。

「加藤剛の生い立ちは?若い頃は二枚目俳優!大岡越前は30年も!」

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