1957年、映画「九時間の恐怖」の端役で俳優デビューするも、石原裕次郎さん、勝新太郎さん、市川雷蔵さんなど、名だたる銀幕スターたちの牙城を崩せず、長らく端役が続いた、田宮二郎(たみや じろう)さんですが、地道な努力が実り、ついに、ブレイクします。
「田宮二郎の生い立ちは?住友財閥の御曹司だった!」からの続き
自ら売り込んでいた
長い間、目立つ役をもらえず、端役が続きだった田宮さんは、まずは、自分の名前を関係者に覚えてもらおうと、自身が所属する大映の撮影所に片っ端から電話し、
なんと、
あの…柴田吾郎(田宮さんの本名)さんお願いします
柴田吾郎さんいらっしゃいますでしょうか?
と、撮影所全体に聞こえるスピーカーでの呼び出し放送を頼んだそうです。
(そのため、田宮さんのあだ名は、「テレフォン吾郎」「テレゴロ」だったそうです)
さらに、田宮さんは、それから間もなくして、映画「薔薇の木にバラの花咲く」(1959年)に出演されているのですが、
当時、新人女優だった浜田ゆう子さんを売り出すためのこの映画の制作記者会見の会場に突然現れると、
僕もついでに売ってくれませんか?
と、記者会見中にもかかわらず、強引に割り込み、なんと、取材陣を前にして、勝手に自己PRを始めたそうです。
「薔薇の木にバラの花咲く」より。(左から)若尾文子さん、田宮さん、角梨枝子さん、川崎敬三さん。
端役でも一切手を抜かなかった
それでも、田宮さんは、端役でも一切手を抜かず、
たとえちっぽけな役でも、その人物には性格があり、その裏には人生がある
と、数多くの映画で丁寧に端役を演じたそうで、
当時の田宮さんを知る、鬼沢慶一さんは、
食事するんだって、かなり意識して食事するからね。「お前くたびれねえか」ってな話をしたことあるんだけど。
箸ひとつ動かすにしても、彼はきちんともう、何て言うのかな、「俺は俳優なんだ、みんなから見られてるんだ」っていう意識は持ってたね。
と、田宮さんが、どんな時も、「俳優」だったことを明かされています。
山崎豊子の「女の勲章」で注目
すると、田宮さんは、ついに、1959年(23歳)、父と娘の絆を描いた映画「私の選んだ人」で主演に抜擢。娘の結婚相手である青年役を好演されると、たちまち脚光を浴びます。
「私の選んだ人」より。(左から)船越英二さん、野添ひとみさん、田宮さん。
そして、1961年には、山崎豊子さんの同名小説を原作とする映画「女の勲章」で、ファッション業界を舞台に、女達を踏み台にしてのし上がっていく八代銀四郎を演じられると、田宮さんの演技は高く評価されたのでした。
「女の勲章」より。(左から)叶順子さん、田宮さん、中村玉緒さん。
(田宮さんにとって、この「女の勲章」は、自他ともに認める代表作となり、以降、田宮さんは、山崎豊子さんの作品に深く傾倒していくことになります)
勝新太郎の「悪名」で一躍スターの仲間入りを果たす
さらに、田宮さんは、同年、勝新太郎さんと共演した映画「悪名」に、朝吉(勝さん)の相棒のチンピラ「モートルの貞」役に抜擢されると、勝さんを食うほどの渾身の演技を披露し、たちまちスターダムに。
「悪名」より。勝新太郎さ(左)と田宮さん(右)。
そして、続編「続・悪名」では、田宮さん演じる「モートルの貞」はチンピラに刺され、絶命するのですが、
シリーズ化が決まった3作目からは、田宮さんは、「モートルの貞」の弟「清次」役で、再び、勝さんと共演。
以降、「悪名」は、1968年まで続く人気シリーズとなり、田宮さんは、その人気に大いに貢献されたのでした。
ちなみに、勝さんの奥さんである中村玉緒さんは、
「朝吉・貞」って言う関係は撮影が終わってからもそうだったんです。もう、朝から晩まで家でずーっと主人のそばにいらっしゃいました。
あんな俳優さんはいるの?だって、撮影終わったら帰って寝たいし、食事も自分でしたいし、または暇な時は掃除も自分でしたいし、ゴロッとしたいのに…。これはもう、主人も田宮さんがいてこそ、悪名というものができたと思うんですね。
と、田宮さんの役者魂を絶賛されていました。
「田宮二郎は人気絶頂のなか干されていた!その理由とは?」に続く