1972年、テレビ時代劇「眠狂四郎」で人気を博すと、その後、現代劇にも出演し、陰影のある哀愁漂うルックスから女性ファンに「憂愁の貴公子」と呼ばれるようになった、田村正和(たむら まさかず)さんですが、1983年には、「うちの子にかぎって」で3枚目を好演し、またまた、ブレイクされます。

「田村正和のデビュー当初はイマイチも眠狂四郎でブレイク!」からの続き

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田村3兄弟で共演

田村さんは、1983年、時代劇スペシャル「乾いて候」で主演を務められているのですが、好評を博したことから、翌年の1984年には連続ドラマ化。田村三兄弟の共演もあり、大きな話題となっています。


「乾いて候」で初共演した、(左から)田村亮さん、田村高廣さん、田村正和さんの3兄弟。

また、この「乾いて候」は、田村さん演じる主人公・主丞の家紋がキスマークであるほか、多くのドラマで名君として描かれることの多い徳川吉宗を、「権力ボケだが憎めないところのある馬鹿殿」として描くなど、異色のストーリーということでも話題となりました。


「乾いて候」より。

「うちの子にかぎって…」の3枚目役でブレイク

そして、この年、田村さんは、自由奔放な子どもたちが騒動を巻き起こす様子をコメディタッチで描いたテレビドラマ「うちの子にかぎって…」で、

これまでのイメージを完全に覆す、3枚目役(生徒に振り回される、ちょっと頼りなくて優柔不断な小学校の先生・石橋徹役)を演じられているのですが、この役が見事にハマり、ドラマは高視聴率を記録。


「うちの子にかぎって…」より。

このことが転機となり、

1985年「子供が見てるでしょ!」
1987年「パパはニュースキャスター」
1988年「パパは年中苦労する」

でも、コメディドラマの主演を務められると、これまたヒット。

田村さんは、テレビドラマ界のスターとして不動の地位を築かれたのでした。

「うちの子にかぎって…」はプロデューサーの直談判で実現

ところで、これまで、ほとんど2枚目役での出演だった田村さんが、3枚目役での出演となったのは、1984年、テレビドラマ「くれない族の反乱」の最終回で、田村さん演じる佐伯とその子どもが別れるシーンを観て感動した、同ドラマのプロデューサー・八木康夫さんが、

これまでなかった、田村さんと子どもという組み合わせをリアルに感じ、田村さんの所属事務所に、「うちの子にかぎって…」の主演での出演をオファーしたのがきっかけだったそうです。

「くれない族の反乱」より。

ただ、当初は、事務所にあえなく断られてしまったそうですが、八木さんがイメージする、「わが子はアイスキャンディー」(赤川次郎さん原作)の映像を持って田村さんに直談判に行かれると、

偶然にも、田村さんも、この「わが子はアイスキャンディー」を観て感銘を受けていたそうで、八木さんが、「こういう感じの作品にしたい」と田村さんにオファーすると、田村さんは出演を快諾されたのでした。

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「ニューヨーク恋物語」はお気に入りの作品

そんな田村さんは、1988年には、ニューヨークで暮らす8人の男女の姿を描いたトレンディドラマ「ニューヨーク恋物語」で、主人公・田島雅之役を演じられているのですが、


「ニューヨーク恋物語」より。田村さんと夏桂子さん

2004年には、16年ぶりとなる、スペシャル版「新ニューヨーク恋物語」にも出演。

実は、田村さん自身が、スタッフに、「もう一度やりたい」と言い続け、念願叶っての出演となったそうで、

16年前の「ニューヨーク恋物語」では、個人的にも初めての経験だったんですが、1ヵ月半ニューヨークにいて、帰国して1ヵ月スタジオに入って、さらにまた1ヵ月半ニューヨークに行って…こういう経験がまず初めてで、スタッフとも仲良くなったりしたんです。

そのスタッフとは、今に至るまで16年間、「過ぎし日のセレナーデ」「じんべえ」「さよなら、小津先生」「古畑任三郎」などと、いまだにずっと仕事をしているわけです。そういう意味でも、またこのスタッフで「ニューヨーク恋物語」を撮りたい、という気持ちもありました。

そして、ご覧になった方は覚えていらっしゃると思うんですが、アルコール依存症から立ち直って、それを支えてくれた岸本加世子さん演じる女性とケネディ空港で別れて、イエローキャブに乗ってマンハッタンに向かうところで終わるんですけど、

その後、田島がどういう人生を送っているのか、どういう恋物語を繰り広げているのか、ということがどうしても知りたかった。だから、是非もう一度やりたい、という気持ちをずっと持っていたんです。

と、明かされていました。

「田村正和は古畑任三郎で明石家さんまにキレていた!」に続く

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