積年の無理がたたり、「腰部脊柱管狭窄症」と診断されるも、2014年6月に手術を受けられると、驚異的な回復力を見せ、3週間でリハビリを終了させて、退院した翌日にはステージに復帰された、水前寺清子(すいぜんじ きよこ)さん。そんな水前寺さんの過去のゴシップやプライベートについてご紹介しましょう。

「水前寺清子のありがとうほか出演ドラマ映画は?病気で入院していた?」からの続き

Sponsored Link

昔、和田アキ子を泣かせた?

ところで、水前寺さんは、過去、あの和田アキ子さんと確執があったというのです。

押し出しの強いお二人なので、さもありなんといったところですが、水前寺さんは、2016年11月、バラエティ番組「ダウンタウンなう」に出演された際、「チータVS大物芸能人! ウワサの真相」と題して、水前寺さんが過去に報じられた様々な噂の真相を明かされているのですが、その中で、「和田さんを泣かせた」という噂についても語っておられます。

さかのぼること40余年、1974年に、水前寺さんが、和田さんがレギュラー出演していたテレビ番組のオファーを、

アッコは嫌いだから出ない

と言って断り、それを聞いた和田さんが号泣した、と週刊誌が報じられたことが、事の発端なのですが、

水前寺さんは、この報道について、

週刊誌に「(番組に)出てくれないんで一晩中泣いた」って書かれたんですよ。そのときに私もあの方の元気のよいところを知っておりましたんで、「泣くタマか!」と言ったのは覚えております。

売られたケンカは買います。私、(あの週刊誌の報道は)売られた、と思っておりますから。

と語られるも、

この事件、ケンカを売られたと思いましたから。私が知らないところで、「一晩泣いた、どうしてくれるんですか」って言われたんで、「泣くタマか!」って言ったのは、今でも本当に申し訳なかったと思っております。

と、実は、週刊誌の記事を見た水前寺さんが、てっきり和田さんからケンカを売られたと勘違いしていただけで、こんな事態になったようで、現在では、

アッコちゃんは、本当に今はとってもよくしてくださいますし、優しいです。

と、仲良くされていることを明かされています。


「ダウンタウンなう」より。(左から)松本人志さん、
浜田雅功さん、坂上忍さん、水前寺さん。

というのも、報道のあった前年の1973年には、水前寺さんは、「NHK紅白歌合戦」の司会を務められるなど、歌手としてはすでに大御所。一方、和田さんも、レギュラー出演していた「金曜10時!うわさのチャンネル!!」でお茶の間人気で人気を博すなど、まさに伸び盛りの頃だったそうで、

週刊誌が、そんな二人を、

「ベテラン歌手が後輩をいじめている」

という構図に仕立てあげ、水前寺さんは、まんまと乗せられてしまったのでした。

まあ、結果的には、雨降って地固まり、今では仲良くされているということで、何よりですね。

Sponsored Link

夫は?子どもは?

そんな水前寺さんの気になるプライベートですが、水前寺さんは、1989年、サックス奏者だった小松明さんと結婚されています。

お二人の馴れ初めなど、詳しいことは分かりませんでしたが、小松さんは、国立の音楽大学を卒業後、バンドマスターとして数多くの歌手の地方興行に同行されていたそうなので、もしかしたら、水前寺さんのバックバンドも務められ、その縁で知り合われたのかもしれませんね。

ちなみに、水前寺さんが小松さんとの結婚を決意したのは、なんと「バック転」だったそうで、小さい頃から運動の経験がなく、ミュージシャンで指を大切にしてきた小松さんが、水前寺さんの目の前でバック転を披露したことに、水前寺さんが感動されたのだとか。

それに、結婚後、小松さんは、音楽の仕事を辞め、水前寺さんの事務所・株式会社水清企画の社長兼マネージャーを務められるなど、自分の仕事よりも水前寺さんの裏方に徹し、業界では『水前寺清』と呼ばれているのですが、そんなところも、親分肌の水前寺さんとは相性が良かったのかもしれません。

また、お二人の間にはお子さんはいらっしゃらないそうですが、水前寺さんのブログには、たびたび小松さんが登場するなど、夫婦仲はとても良いようで、

水前寺さんの歌手生活50周年記念コンサートでは、30年ぶりに小松さんがバンドの指揮を担当され、公私共に良きパートナーであることが伝わってきます♪


ご主人の小松さんと水前寺さん♪

さて、水前寺さんは、情が厚く、温かい人柄から、芸能人、業界人、年齢性別問わず、多くの人々に慕われているのですが、

水前寺さんは、過去に、

1970年にはドラマ「ありがとう」で役者を経験しました。今はテレビの情報番組の司会もさせてもらっています。寝る間もない忙しい時期もありましたが、仕事をつらいと思ったことはただの一度もありません。

そこにはいつも、両親や星野哲朗先生、「ありがとう」のプロデューサーである石井ふく子先生といった、誰かの支えがありました。そうした出会いを思い返すと、感謝の気持ちと、恵まれた人生だったと思わずにはいられません。

もちろん困難もたくさんありましたが、「まあいいか」と思えば人生そんなにつらいことはないように思います。趣味で押し花絵をやっていて自宅で花を育てているのですが、世の中で一番強いものは植物だと思います。どんな厳しい状況でも、芽を出して花を咲かせる。植物のように強くありたいですね。

と、語っておられるなど、常に感謝であふれていることも、多くの人々を惹きつけているのでしょうね。

70歳を過ぎた水前寺さんですが、これからも末永く、その心の美しさを投影するかのような、素晴らしい歌声を聴かせてほしいものです。

「水前寺清子の若い頃は?365歩のマーチが大ヒット!あだ名チータの由来は?」

Sponsored Link