おおみそかの「NHK紅白歌合戦」と言えば、日本人なら誰もが思いつくのが、北島三郎(きたじま さぶろう)さんですが、北島さんは、いったい、いつからどれくらいの期間、「紅白」に出場されていたのでしょうか。今回は、そんな北島さんの「紅白」にまつわる話と近況についてご紹介します。
「北島三郎の歴代所有馬の数と獲得賞金が凄すぎる!」からの続き
史上初の「NHK紅白歌合戦」出場50回を達成
北島さんは、1963年、27歳の時に、「第14回NHK紅白歌合戦」に初出場されると、以降、連続出場されていたのですが、
1986年、「第37回」は、暴力団との交際が明らかとなったため、直前に降板し、連続出場回数は23回でストップ。
ただ、翌年の1987年、2年ぶりに復帰されると、以降は連続出場を続けられ、2011年には、芸能生活50周年に合わせて、48度目となる「第62回」限りで勇退・・・
する予定だったのですが、この年の紅白は、「東日本大震災」関連の演出が優先されたため、勇退を公表せず、そのまま続投。
そして、2013年、史上初の50回出場を達成すると、ついに、
紅白に1本の線を引く。いつまでも先輩面して壁になるのはよくない。歩いてきた道を後輩に譲る。
と、紅白卒業を宣言されたのでした。
5年ぶりに「NHK紅白歌合戦」に特別枠で復帰
ただ、NHKによると、
やっぱりサブちゃんを紅白で見たい
との視聴者の声が相次いだため、北島さんに出演を依頼したところ、北島さんは快諾されたそうで、
2018年、「第69回NHK紅白歌合戦」に、5年ぶりに特別枠で復帰。
北島さんは、囲み取材に応じ、北山たけしさんと大江裕さんのデュオ「北島兄弟」とともに登場すると、
報道陣からの、
お帰りなさい
の声に、
ありがとう
と、微笑みを浮かべ、
この1年を振り返って?
との報道陣からの質問には、同年3月3日に心不全で他界した次男の大野誠さんについて自ら触れ、
息子が1人旅立った寂しさは今も残っていますけど、「そんなこと、いつまでも考えていないで頑張れや」という、息子の声が聞こえる気がします
と、自分に言い聞かせるように語られたのでした。
また、今回、「紅白」に復帰した理由については、
昭和、平成と支えてもらった皆さんに恩返しがしたい
(災害の多い1年だったが)私の声で良かったら…元気づけたいですな
と、平成最後の節目ということが大きかったようです。
足の指を7本も骨折
ところで、北島さんは、2019年11月、足の指を7本も骨折する全治2ヶ月の重傷を負っていたことが報道されています。
事務所関係者によると、北島さんは、2019年11月20日、東京・八王子の自宅で転倒し、左足の指5本と右足の指2本を骨折したというのです。
それでも、12月12日、都内で行われた「年忘れにっぽんの歌」(12月31日放送分)の収録には、車椅子に乗って参加すると(さすがに立って歌うことができないため)、客席から声援を送り、
今日の「年忘れにっぽんの歌」は何十年間で初めて客席で見させてもらったが、みんな迫力ある歌声でよかったよ
と、おっしゃっていました。
頸椎症性脊髄症が原因か
実は、北島さんは、2016年9月に、持病の「頸椎症性脊髄症」の手術をされているのですが、その後、やや、歩行がおぼつかない状態が続いているそうで、2018年2月3日、東京・八王子の高尾山薬王院で恒例の豆まきを行った際には、
いまひとつ動きが思うようにいかないけど、この症状とはずっとつきあっていくしかない。でも、健康はありがたい。節分に来ると気持ちが新たになるね。
と、おっしゃっており、
もしかすると、自宅で転倒したのも、このせいかもしれません。
それでも、北島さんは、
治るまでは立って歌うことはできないけど、元気で頑張ってるよ。心配してもらい申し訳ないが、一日も早くステージに立てるようにしたいね。
仕事には一切、穴を開けておりません
と、意欲を語っておられました。
5年ぶりに紅白に復帰し、「まつり」を熱唱する北島さん。
1962年「なみだ船」で、実質的な歌手デビューを果たすと、いきなり、ミリオンヒットを記録し、その後も、「兄弟仁義」「帰ろかな」「函館の女」「与作」と大ヒットを飛ばした、北島三郎(きたじま さぶろう)さん。今回は、そんな北 …