1962年4月、初代「ジャニーズ」結成メンバーに選ばれると、同年8月には芸能界デビューされた、あおい輝彦(あおい てるひこ)さん。「ジャニーズ」は、かつてない、「歌って踊れるアイドル」として人気を博すのですが・・・

「あおい輝彦は昔ジャニーの野球チームから初代ジャニーズになっていた!」からの続き

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全米デビューも失意のうちに帰国~解散

1962年4月、「ジャニーズ」のメンバーとなったあおいさんは、1963年には、日劇「第19回ウエスタン・カーニバル」、1965年には、ミュージカル「焔のカーブ」など、本物の舞台ショーにも積極的に出演し、

1966年8月には、本格的なダンスを勉強するために渡米し、全米デビューも果たすのですが、制作したLP(レコード)がお蔵入りとなるなど、活動はうまくいかなかったようで、翌年の1967年には、失意のうちに帰国。

さらに追い打ちをかけるように、日本では、時代は「グループサウンズ」一色となったことから、「グループサウンズ」を意識した楽曲を発表するのですが、1967年には、解散となってしまいます。

本当のジャニーズ解散理由

ただ、この解散、本当の理由は、「日本の芸能界との方向性の違い」などではなかったというのです。

元メンバーの中谷良(なかたに りょう)さんが出版した、暴露本「ジャニーズの逆襲」(1989年発売)によると、解散は、リーダーである真家ひろみ(まいえ ひろみ)さんの独断だったそうで、その背景には驚くべき事実があったのでした。


ジャニーズの逆襲

ジャニー喜多川によるホモセクラハ行為が原因

まず、一つ目は、4人は、まだ、少年野球チームのメンバーだった頃から、ジャニーさんにホモセクハラ被害を受けていたというのです。

アマチュア時代、あおいさんたち4人は、ジャニーさんの紹介で「新芸能学院」という芸能学校で、歌やダンスのレッスンに励んでいたそうですが、

あおいさんが学院長に、

あんなことされて、僕の一生はおしまいです!

と訴えたことがきっかけで、このことが初めて学院長の知るところになると、

その後、1964年、この学院長は、ジャニーさんが、人気の出てきたあおいさんたちを引き連れ、出ていってしまったため、未払い分の授業料やスタジオ使用料、食費など、270万円の支払いを求めて、ジャニーさんを訴えているのですが、

この公判では、金銭トラブルよりも、ジャニーさんのホモセクハラばかりが注目されることとなったというのです。

ただ、1967年4月には、あおいさんたち「ジャニーズ」のメンバー4人も出廷し、原告弁護士の質問責めにあっているのですが、

当時すでに人気アイドルだったあおいさんたちは、ジャニーさんに、ホモ行為の被害者であることを認めるのは得策ではないと説き伏せられ、

「何のことか知りません」「覚えていません」

と、嘘の証言をされたそうで、

結局、この裁判で、ジャニーさんのホモ行為が認定されることはなかったのだそうです。

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メリー喜多川との金銭トラブルが原因

そして、もう一つは、ジャニーズ事務所の副社長メリー喜多川さんとの金銭トラブル。

なんと、「ジャニーズ」の4人のメンバーは、デビューして3年間、タダで働かされていたというのです。

そして、ようやくもらった初めてのお給料も、たったの2万円(現在の貨幣価値に換算すると8万円ほど)だったそうで、

「ジャニーズ」は、これらのことが我慢できなくなった、リーダーである真家ひろみさんの独断で解散されたというのです。

ちなみに、「ジャニーズ」は国民的アイドルとなっていたにもかかわらず、少ない給料のせいで、解散当時、4人のメンバーは貯金もなかったそうですが、

退職金も出してもらえなかったそうで、そのうえ、それまでにかかった食事代のたくあん一枚まで事細かに書かれた帳簿を見せられ、マイナスだったと言われたのだそうです。

「あおい輝彦の娘は?ジョーの声?あなただけほかシングルは?ドラマ映画は?」に続く

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