1953年に「宝塚歌劇団」を退団し、映画女優に転身すると、以降、70本以上の映画に出演し、日本の映画黄金期を支えた、有馬稲子(ありま いねこ)さんですが、今井正監督からはイジメのような仕打ちに遭っていたといいます。

「有馬稲子の昔は東宝や松竹でスター女優!小津安二郎監督との思い出とは?」からの続き

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今井正監督からイジメに遭っていた?

「東京暮色」(1957)や「彼岸花」(1958)では、名匠・小津安二郎監督からとてもかわいがられた有馬さんですが、一方で、今井正監督からはものすごくいじめられたそうです。

有馬さんによると、今井監督は、男性のことは叱らなかったそうですが、女優に対しては厳しく、共演者だった、三國連太郎さん、森雅之さん、金子信雄さんの3人は何をやってもすっと通るのですが、有馬さんだけ、何度もやり直しをさせられたというのです。

実際、「待って」というセリフを、「もう一回」「もう一回」と何度も言い直しさせられ、午前中だけで、100回くらいは言わされ、

挙句の果てには、

今より3つ前の「待って」が良かった

と、ものすごく意地の悪いことを言われたそうで、

有馬さんは、もう、何がなんだか分からなくなり、3日目か4日目には、ホテルから飛び降りようかと思うくらい、精神的に追い込まれてしまったそうです。

ちなみに、この「待って」は、金子信雄さんが、立ち上がり、中腰で有馬さんに脇差(わきざし)を突きつけて、「今ここで自分の言うことを聞くかどうか」というシーンだったそうで、

有馬さんができないために、金子さんは何度も中腰にならなければならず、

ついには、

ネコちゃん(有馬さんのこと)、助けて。もう僕は腰が痛くなっちゃったよ。

と、言われてしまったそうですが、有馬さんにはどうすることもできなかったそうです。

三國連太郎から本気で殴られる

また、同じく今井監督の映画「夜の鼓」(1958)では、壮絶な体験をされたそうです。


「夜の鼓」より。三國連太郎さんと有馬さん。

というのも、この「夜の鼓」は、鳥取藩の小倉彦九郎(三國連太郎さん)が、参勤交代が終わって妻が待つ家に急いで帰るも、町中、妻と源右衛門の不義密通が噂になっており、本当に妻が不義を働いたのかを探るというストーリーで、

有馬さんは、三國連太郎さん演じる小倉彦九郎の妻を演じられていたのですが、彦九郎が妻を殴るシーンでは、テストだというのに、三國さんは本気で有馬さんを殴ってきたというのです。

そして、何回目かのテストの後、ようやく本番が済み、「やれやれ」と思っていると、

またしても、今井監督が、

落ち着いたらもう一回いこうか

と、言ったそうで、有馬さんはさらに、殴られることに。

ただ、あまりに何回も殴られたため、顔が2センチくらい腫れ上がっていたそうで、布で氷を包んで顔を冷やすも、腫れが引くまで2時間くらいかかり、ようやく腫れが引いたところで、もう一度やることになったのですが、

さすがに、有馬さんは、

連ちゃん、テストではぶたないでよ、この監督何回やらされるかわからないから

と、三國さんにお願いされたのですが・・・

三國さんは、

ああ、ごめんごめん

と、口では言いつつ、2回目のテストの時には、またしても、本気で殴ってきたそうで、

たまらず、有馬さんが、

連ちゃん、言ったでしょう?たたかないでよ

と、言うと、

またしても、口では、

ごめん、ごめん、気をつける

と、謝りつつ、3回目のテストでも、本気で殴って来たのだそうです。

(有馬さんによると、三國さんは、良い役者なのですが、芝居のことになると、夢中になり、分別がつかなくなるとのことでした)

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三國連太郎から延べ100回以上殴られる

ちなみに、今井監督はというと、遠くから見ていて、三國さんが本気で有馬さんを殴っていることに気づかなかったのか、注意など何もされなかったそうで、

最後の本番前には、なんと、

連ちゃん、今度は本番だから、本当にしっかりやってください

と、言われたのだとか。

結局、こうして、テストは30回以上に及び、有馬さんは、1回につき、3、4回殴られたことから、100回以上も殴られたことになり、今では考えられないひどい経験をされたのでした。

「有馬稲子は市川崑監督と不倫関係だった!」に続く

「夜の鼓」より。問題のシーンは1:17:34あたりから。

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