有馬稲子のデビューからの出演ドラマ映画を画像で!


「宝塚歌劇団」の娘役から女優に転身し、戦後の日本映画を代表するスター女優として活躍された、有馬稲子(ありま いねこ)さん。今回は、そんな有馬さんの、日本人なら誰もが知る文豪とのエピソードや、デビューからの出演作品を画像を交えてご紹介します。

「有馬稲子の現在は横浜で高級老人ホーム暮らしも市川崑監督への恨み!」からの続き

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出演作品(映画)

それでは、ここで、有馬さんの主な出演作品をご紹介しましょう。

映画では、

1951年「寶塚夫人(宝塚夫人)」
     「せきれいの曲」
1953年「ひまわり娘」
     「母と娘」
     「都会の横顔」
     「幸福さん」
     「愛人」


「せきれいの曲」より。(左から)山村聡さん、有馬さん、轟夕起子さん。

1954年「晩菊」
     「わたしの凡てを」
     「女性に関する十二章」
     「結婚期」
     「伊津子とその母」
     「愛」


「晩菊」より。

1955年「息子の縁談」
     「貝殻と花」
     「東京-香港・蜜月旅行」
     「花嫁はどこにいる」
     「太陽は日々新たなり」
     「川のある下町の話」
     「泉へのみち」
     「胸より胸に」


「花嫁はどこにいる」より。佐田啓二さんと有馬さん。

1956年「君のうたごえ」
     「泉」
     「女の足あと」
     「白い魔魚」
     「朱と緑」
     「晴れた日に」
     「花嫁募集中」
     「ここは静かなり」
     「踊る摩天楼」
     「つゆのあとさき」
     「松竹まつりスタア総動員 スタジオ超特急」
     「松竹まつりスタア総動員 女優誕生」


「泉」より。

1957年「白磁の人」
     「大忠臣蔵」
     「東京暮色」
     「体の中を風が吹く」
     「娘三羽烏」
     「黒い河」
     「抱かれた花嫁」


「東京暮色」より。

1958年「黒い花粉」
     「坊っちゃん」
     「夜の鼓」
     「ボロ家の春秋」
     「赤い陣羽織」
     「森と湖のまつり」
     「彼岸花」


「彼岸花」より。(左から)有馬さん、山本富士子さん、久我美子さん。

1959年「風花」
     「空かける花嫁」
     「春を待つ人々」
     「人間の條件[9] 第一・二部」
     「危険旅行」
     「惜春鳥」
     「浪花の恋の物語」


「風花」より。(左から)久我美子さん、岸惠子さん、有馬さん。

1960年「わが愛・「通夜の客」」
     「白い崖」
     「観賞用男性」
     「朱の花粉」
     「波の塔」

1961年「もず」
     「ゼロの焦点」
     「かあちゃんしぐのいやだ」
     「雲がちぎれる時」
     「はだかっ子」


「波の塔」より。津川雅彦さんと有馬さん。

1962年「充たされた生活」
     「お吟さま」
     「酔っぱらい天国」
1963年「武士道残酷物語」
1965年「大根と人参」
     「徳川家康」
     「無法松の一生」

1971年「告白的女優論」
1983年「生きてはみたけれど 小津安二郎伝」
2001年「いのちの海 」
2008年「夢のまにまに」
2019年「葬式の名人」


「葬式の名人」より。

出演作品(テレビドラマ)

テレビドラマでは、

1957年「私は告発します」
1962年「お気に召すまま」
1964年「通夜の客」
     「再会」
1965年「帰郷」
1966年「お富の貞操」
     「秋」


「通夜の客」より。

1967年「蛍火」
     「氷壁」
     「愛情について」
1968年「東芝日曜劇場『早春』」
     「大奥」
1969年 NHK大河ドラマ「天と地と」
     「黒部の太陽」


「天と地と」より。

1971年「絵島生島」
     「愛と死の砂漠」
     「女人平家」
1973年「巣立ち」
     「日本の嫁シリーズ『嫁サこらんしょ』」
     「伝七捕物帳」第10話
1974年「おからの華」


「絵島生島」より。

1976年「さよならの夏」
     「赤い運命」
     「女の旅」
1978年「悲しみは愛の笛」
     「青春の証明」
1980年「草野球・草家族」
1983年「Wの悲劇」
     「蒲田行進曲」

1985年「火曜サスペンス劇場『季節はずれのサンタクロース』」
     「木曜ゴールデンドラマ『母という名の女』」
     「サギ娘」
1986年「妻そして女シリーズ『妻の美徳』」
     「木曜ゴールデンドラマ『女はおんな』」
1988年「宮尾登美子の松風の家」
1989年「娘と私のアホ旅行」

1990年「ガラスの壁」
     「悪魔の手毬唄」
1993年「徳川武芸帳 柳生三代の剣」
1996年「炎の消防隊」
     「結婚はいかが?」
1998年「徳川慶喜」
     「鶴亀ワルツ」


「悪魔の手毬唄」より。

1999年「あすか」
2000年「金曜エンタテイメント恐妻家探偵の事件帖」
2001年「火曜サスペンス劇場『窓辺の女』」
2002年「火曜サスペンス劇場『地方記者・立花陽介19 箱根小田原通信局』」
     「月曜ミステリー劇場『狼女の子守唄』」
     「名古屋仏壇物語」
2003年「女と愛とミステリー『みちのく蕎麦街道殺人事件!』」
2004年「水曜プレミア『大都会の女たち』」

2005年「月曜ミステリー劇場『浅見光彦シリーズ20 崇徳伝説殺人事件』」
     「赤い疑惑」
2007年「金曜プレステージ『お母さん ぼくが生まれてごめんなさい』」
2008年「ゴンゾウ 伝説の刑事」
     「肉体の門」
2010年「京都地検の女 第6シリーズ」
2017年「やすらぎの郷」
2019年「やすらぎの刻〜道」


「やすらぎの郷」より。有馬さんと藤木孝さん。

ほか、数多くの作品に出演されています。

「葬式の名人」

ところで、有馬さんは、2019年、 大阪府茨木市にある簡素な木造アパートで息子と二人で暮らす、28歳のシングルマザー・雪子(前田敦子さん)が、同級生の訃報に接し、高校卒業から10年の時を経て、通夜の席で同級生たちに再会すると、これまでに見たことも聞いたこともない奇想天外なお通夜で・・・という、映画「葬式の名人」に出演されているのですが、

実は、この映画、笑いあり、涙ありの奇想天外な通夜の様子を描いた、ノーベル文学賞受賞作家・川端康成さんの作品を原案としており、実際に、川端康成さんが18歳まで過ごした大阪府茨木市で撮影が行われたのだそうです。

川端康成をナンパしていた?

ちなみに、有馬さんが演じられているのは、若くして亡くなった父親と幼い息子をつなぐ謎めいた女の役で、川端さんの世界を象徴するような役どころなのですが、実は、有馬さんと川端さんは、かつて、深い交流があったそうです。(川端さんは、1972年、自殺されています)

有馬さんは、1954年、川端さんの著書を原作とする同名の映画「川のある下町の話」(1954年)に出演されるも、その時点ではまだ、川端さんに会ったことはなかったそうですが、

ある日のこと、電車で、川端さんを見かけると、膝に大きな風呂敷包みを乗せて座っていたため、なんとかお話したいと思い、新橋に着いた時、

先生、お荷物をお持ちしましょう

と、声をかけて、荷物を持つと・・・

意外にも、とても軽く、持ってあげるほどではなかったそうです(笑)

ただ、このことがきっかけで、川端さんとお知り合いになることができたそうで、

(以来、「ノーベル賞作家を電車でナンパした女優」との晴れがましいあだ名で呼ばれるようにもなったそうです)

川端さんは、いつも、銀座の画廊にいたことから、そこで、いろいろなことを教わったり、また、おいしいお食事もたくさんごちそうになったのだそうです♪

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にんじんくらぶ設立時は川端康成が後ろ盾に

そして、有馬さんは、1954年には、岸恵子さん、久我久美子さんとともに、「五社協定」に反旗を翻し、「文芸プロダクションにんじんくらぶ」を設立されるのですが、

その際には、川端さんは、「文壇が全部ついている」と全面的にバックアップしてくれ、設立後は、顧問を引き受け、活動を率先して応援してくれたほか、

有馬さんが萬屋錦之介さんと結婚された際にも、川端さん夫妻が親代わりを買ってでてくれるなど、とても親身になってくれたのだそうです。

(有馬さんは、萬屋さんと離婚後、再婚された時も、川端さんのところに挨拶に行かれたそうです)

さて、いかがでしたでしょうか。

有馬さんの、

  • 年齢は?出身は?身長は?本名は?
  • 父親は社会主義者で警察に追われる毎日
  • 韓国釜山の叔母夫婦の養女となり裕福な幼少期
  • 戦争で養母と別離も奇跡的に再会
  • 日本に引き揚げようとするも・・・
  • 命がけの日本引き揚げ
  • 帰国も日本は敗戦直後で大混乱状態
  • 実父のDVに苦しめられる
  • 全ての家事を押し付けられていた
  • 「宝塚音楽学校」受験は父親のDVから逃れるため
  • 「宝塚音楽学校」に合格~養母「有馬稲子」の芸名を受け継ぐ
  • 映画「せきれいの曲」で主演に抜擢~宝塚に借金して一軒家を建てる
  • 早々に「宝塚歌劇団」を退団した理由とは?
  • 「東宝」のスター女優として活躍
  • 岸恵子らと「にんじんくらぶ」設立~岡田茉莉子と「松竹」の看板女優に
  • 小津安二郎監督からかわいがられていた
  • 小津安二郎監督との思い出
  • 今井正監督からイジメに遭っていた?
  • 三國連太郎から本気で殴られる
  • 三國連太郎から延べ100回以上殴られる
  • 市川崑監督と不倫関係だったことを告白
  • 市川崑監督との馴れ初め
  • 父親からのDVの影響も
  • 市川崑監督の言葉を信じて待つ日々
  • 萬屋錦之介との出会い
  • 市川崑監督が萬屋錦之介との結婚に猛反対
  • 関係維持に必死な市川崑監督に幻滅し決別
  • 萬屋錦之介とセレブ婚
  • 昼夜問わず家事に追われる結婚生活
  • 舞台「浪花の恋の物語」の出演オファー
  • 萬屋錦之介と離婚
  • 実業家と再婚
  • 多忙を極め夫婦関係に亀裂
  • 舞台「はなれ瞽女(ごぜ)おりん」のオファーが舞い込む
  • 夫の会社が倒産し多額の借金を背負う
  • 泥沼調停のすえ莫大な借金を肩代わりさせられ離婚成立
  • 現在は横浜の高齢者向けマンションで一人暮らし
  • 毎日ウォーキング
  • 「徹子の部屋」では一人寂しい胸の内を吐露
  • 今もなお市川崑監督に対する恨み
  • 出演作品(映画)
  • 出演作品(テレビドラマ)
  • 葬式の名人
  • 川端康成をナンパしていた?
  • にんじんくらぶ設立時は川端康成が後ろ盾に

について、まとめてみました。

かつて、木村光一氏から、「女優はいくらでもいる」と言われて以来、

生ガキに当たってひどい腹痛になったときも1日2回公演の舞台に出ました。死にそうでしたが、それくらいで台詞をとちったりはしません。

と、これまで一度も舞台に穴を開けたことがないという有馬さん。

80代後半に差し掛かっても現役バリバリな有馬さんの出演作品、この機会にご覧になってはいかがでしょう♪

「有馬稲子の生い立ちは?幼少期は韓国釜山で裕福な生活をしていた!」

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