日本の映画黄金期、銀幕のスター女優として人々に夢を与え続けるも、私生活は、有名監督との道ならぬ恋や、2度の結婚離婚と、決して幸せとは言えなかった、有馬稲子(ありま いねこ)さん。今回は、そんな有馬さんの現在についてご紹介します。
「有馬稲子のデビューからの出演ドラマ映画を画像で!」からの続き
現在は横浜の高齢者向けマンションで一人暮らし
有馬さんは、2007年から、横浜にある高級ケア付きマンションで、悠々自適の生活を送っていらっしゃるそうです。
マンションの中には、フロントやロビーをはじめ、大広間、レストラン、温泉ほか、様々なクラブもあり、まるでホテルのようだとか。
55歳以上の健康な人しか入居できない、シニア向け分譲マンションとのことで、420世帯、500人くらいが住んでいるそうです。
また、そこでは、コーラス、ダンス、テニス、囲碁将棋、俳句、和歌など、全部で36個くらいのクラブがあるそうで、有馬さんは、大好きな「モネ」とご自身の愛称である「ネコ」を合わせた「モネコガーデン」というガーデニングの会を主催。
メンバーが集まるのは週1回ほどだそうですが、主催者の有馬さんは、その日の前日にお花を買ってきて準備し、みんなと一緒に季節のお花を植えて育てているそうで、とても充実した生活を送られているのだそうです。
毎日ウォーキング
また、有馬さんは、
食事にも気を付けていますが、やっぱり頭がしっかり活動するためには歩くのが一番だと思います。1年365日のうち、おそらく300日以上は歩いていると思いますよ。
と、マンションの周りに7つも連なる公園の林の中を散歩するのがお気に入りだそうで、
万歩計で計測すると、7000~8000歩も歩いているとのことで、そこまで長い距離ではなくても、毎日歩くことを心がけ、体力づくりに余念がないようです。
「徹子の部屋」では一人寂しい胸の内を吐露
そんな有馬さんは、
このマンションに引っ越してから、楽しい仲間を作って、さまざまな趣味や行事に生きがいを見いだしている方々にたくさん巡り会うことができました。ここで私は初めて、他人同士であっても、人間の絆や思いやりがいかに心を和ませ、暮らしを豊かにするかを、数限りなく実感しました。
皆さんとの時間を楽しく過ごす。でも、部屋に帰れば一人になれるから、自分の時間がしっかり確保できます。それがいいんですよ。
と、高齢者向けマンションで、日々、充実した暮らしを送られているかと思われたのですが・・・
2017年、「徹子の部屋」に出演された際には、2度の結婚を振り返り、
(兄弟はいるが、あまり連絡は取り合ってはおらず、離婚して)1人になった時はいいなと思ったんですよね。でも、今、ちょっと寂しいですね。子供が欲しかった。それが本当に残念で。
と、寂しい胸の内を吐露されています。
今もなお市川崑監督に対する恨み
というのも、有馬さんは、2018年、映画評論家で映画監督でもある樋口尚文氏によるインタビューを共著という形でまとめた自伝「有馬稲子 わが愛と残酷の映画史」を上梓をされているのですが、
実名こそ伏せられているものの、不倫関係に陥り、妊娠中絶までさせられた、市川崑監督への恨みつらみが綴られており、
樋口氏によると、1回4~5時間、4日ほどかけて有馬さんへのインタビューを行ったそうですが、不遇な幼少期から、銀幕のヒロインとして活躍した女優時代、そして、現在に至るまでのインタビューが終わると、
有馬さんは、
このことは触れないわけにはいかない。お話だけさせてください。
(今も市川監督の才能は尊敬しているものの)人としてのあり方が許せない
と、涙ながらに、市川監督のことを話し始めたそうで、
樋口氏は、
子供に恵まれなかった有馬さんは現在、一人暮らし。日々のなかで、監督を許せないという思いをだんだんと募らせているようでした。子供を堕胎したことで妊娠できなくなったと、目を真っ赤にして監督への怒りを語っていました。
と、明かしています。
「モネコガーデン」の前で。
さて、いかがでしたでしょうか。
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- 現在は横浜の高齢者向けマンションで一人暮らし
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- 「徹子の部屋」では一人寂しい胸の内を吐露
- 今もなお市川崑監督に対する恨み
について、ご紹介しました。
かつて、木村光一氏から、「女優はいくらでもいる」と言われて以来、
生ガキに当たってひどい腹痛になったときも1日2回公演の舞台に出ました。死にそうでしたが、それくらいで台詞をとちったりはしません。
と、これまで一度も舞台に穴を開けたことがないという有馬稲子さん。
80代後半に差し掛かっても現役バリバリな有馬稲子さんの出演作品、この機会にご覧になってはいかがでしょうか。
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