人気スター・萬屋錦之介さんとセレブ婚を果たすも、梨園の妻という特殊な家柄や、錦之助さんが毎晩連れて帰ってくる10人以上のスタッフの接待に明け暮れる毎日に疲れ果て、4年も持たず離婚された、有馬稲子(ありま いねこ)さん。今度は、実業家と再婚されるのですが・・・

「有馬稲子の元夫は萬屋錦之介!離婚理由は?」からの続き

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実業家と再婚

萬屋錦之介さんと離婚した有馬さんは、もともと、演技の基礎を積みたいという思いがあったことから、この機会に一からやり直そうと、劇団「民藝」に入ると、新入りの劇団員として、初舞台の際には、チケットをたくさん売らなければ、と頑張っていたそうですが、

そんな時、不動産会社の社長・河村三郎さんを紹介されたそうで、河村さんは、見るからに豪快・快活で、有馬さんが持っていたチケット70枚を全部買ってくれ、

ある時には、有馬さんの楽屋に訪ねて来ると、有馬さんが化粧をしている間にいなくなり、しばらくすると、近くのデパートで買ってきた、真っ赤で豪華な座布団を差し出し、

キミには、これが似合うよ

と、プレゼントしてくれたりしたそうで、有馬さんは感激。

こうして、1969年、有馬さんは、実業家の河村三郎さんと再婚されます。

多忙を極め夫婦関係に亀裂

ただ、売れっ子だった有馬さんは、相変わらず、仕事で多忙を極め、夫婦で一緒に過ごす時間もほとんどなかったことから、

お前の仕事のために、自分を犠牲にしろと言うのか!

と、河村さんに怒鳴られることが多くなったそうで、

2度目の結婚では安定した家庭を築きたいと思っていた有馬さんは、「民藝」を辞め、仕事をセーブ。

こうして、時間の余裕が少しでき、家事もできるようになったことから、これで夫婦関係も修復できると、有馬さんは思っていたのですが・・・

舞台「はなれ瞽女(ごぜ)おりん」のオファーが舞い込む

1980年、各地をさすらう盲目の瞽女(ごぜ)の姿を描いた舞台「はなれ瞽女(ごぜ)おりん」出演のオファーが有馬さんに舞い込みます。

当初、演出家・木村光一さんからオファーがあった時には、迷いもあったそうですが、

有馬さんが、木村さんに、

瞽女の役ですから三味線を弾くことになるんですよね?

と聞いたら、

木村さんは

そうです

と答え、

有馬さんが、

断ったらどうなさるの?

と尋ねたら、

木村さんは、

女優さんはいくらでもいますから、君じゃなくたって

と言ったそうで、

その一言に刺激され、

それまでの女優としての評価に、自分のなかで納得がいっておらず、「代表作がほしい」と思っていたときに巡り合った名作。この作品にすがってみようかと思ったんです。

と、有馬さんはオファーを引き受けられたのでした。

(その後、1980年4月に始まった舞台「はなれ瞽女(ごぜ)おりん」は、2004年まで24年間で684回上演され、有馬さんのライフワークとなりました。)

夫の会社が倒産し多額の借金を背負う

一方で、ご主人・河村三郎さんの事業はこの頃には傾き始めていたそうで、

男らしい人だと思っていましたが、仕事がうまくいかずにお酒に溺れ、ついには酒乱になってしまって。私が家にいないというだけで機嫌が悪くなり、暴言を浴びせられる毎日は暗澹たるものでした。

と、夫婦関係もますます悪化。

そして、1980年、「はなれ瞽女(ごぜ)おりん」の稽古が始まった頃、ついに、河村さんの会社は倒産。借金の保証人となっていた有馬さんは、多額の借金を背負ってしまったのでした。

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泥沼調停のすえ莫大な借金を肩代わりさせられ離婚成立

それでも、有馬さんは、

この結婚は完遂しなきゃいけない

この結婚は守らなきゃ

との思いから、離婚は考えず、

夫の保証人として背負った多額の借金を返すため、数多くの舞台出演を引き受けて、がむしゃらに働いたほか、田園調布の家も、集めていた絵画なども、すべて売却されたのですが・・・

夫の河村さんはというと、そんな有馬さんに甘え、自分では何もしなくなってしまったそうで、有馬さんは、とうとう耐えきれず、離婚を決意。

しかし、離婚の話し合いは泥沼化し、莫大な借金を有馬さんが肩代わりすることで、1983年、ようやく、離婚が成立したのでした。

ちなみに、有馬さんは、

夫の会社が倒産したのは「おりん」の稽古が始まったころだった。人を100%信じてはいけないという、経営者に必須の条件が、彼には欠けていたように思う。

山口県の出身で県の伝統ある有名な地方紙が経営不振に陥ったとき、地元の大政治家に「ふるさとの言論を絶やすな」と、おだてられ、支援に巨額の資金をつぎこみ、それが会社の経営破綻のひとつの理由になった。

~中略~
社員の給料が払えなくなり、田園調布の私の家を抵当にお金を借りたが、その直後に会社は倒産した。

と、語ると、

私の50代は、離婚騒動の真っ最中。相手ともめて4年もたっていたので、心がめげて生きる望みも失っていた私は、いつ、どうやって死んでしまおうか、そんなことばかり考えていたんです。

と、当時の苦し過ぎた胸の内を明かされています。

「有馬稲子の現在は横浜で高級老人ホーム暮らしも市川崑監督への恨み!」に続く

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