これまでに前例のない強烈な毒舌ぶりがウケ、「ツービート」として大ブレイクを果たした、ビートたけしさんは、1982年頃、漫才ブームが去ると、今度は、ピン活動で次々と快挙を成し遂げます。

「ビートたけしのツービート時代は放送禁止用語連発の暴走危険ネタで人気に!」からの続き

Sponsored Link

漫才ブーム終焉後もピンで大ブレイク

一大ムーブメントとなってお茶の間を席巻した「漫才ブーム」も、1981年頃には終焉を迎えようしていたのですが、

たけしさんはというと、同年元旦から、ラジオ番組「ビートたけしのオールナイトニッポン」にピンで出演すると、

5月からスタートした、バラエティ番組「オレたちひょうきん族」「THE MANZAI」のスタッフがそっくりそのまま移行)でもピンで出演し、「タケちゃんマン」としてお茶の間で人気を博します。(ビートきよしさんは準レギュラー)


「オレたちひょうきん族」より。「タケちゃんマン」に扮するたけしさん。

「たけし軍団」はもともと野球チームだった

そして、1983年には、野球好きだったたけしさんが、そのまんま東(現・東国原英夫)さんを筆頭に、大森うたえもんさん、松尾伴内さん、ダンカンさん、柳ユーレイ(現・柳憂怜)さん、ガダルカナル・タカさん、つまみ枝豆さんらを集めて草野球チームを作ると、

この集団で、バラエティに出演できないかと模索する中、当時ディレクターだった森昌行さんが、同年「スーパージョッキー」に起用。


若き日の「たけし軍団」

当初は、それぞれ、個人名義で出演していましたが、後に、森さんにより、「石原軍団」のパロディとして、「たけし軍団」と名付けられると、さらなる人気を博します。

そして、1985年には、自身で、企画、構成、出演した、「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」「OH!たけし」「ビートたけしのスポーツ大将」「痛快なりゆき番組 風雲!たけし城」がスタートし、

「オレたちひょうきん族」も合わせ、民放4局、8時のゴールデンタイムの視聴率がトップを記録するという快挙を遂げたのでした。

(たけしさんは、博識が評価され、お笑い番組だけではなく、クイズ番組「世界まるごとHOWマッチ」などの文化的な番組にも出演されるようになっています。)

「ツービート」は活動休止状態もきよしとは仲良し

その一方で、「ツービート」としての活動は休止状態となり、きよしさんは、1985年頃、事務所を退所されると、フリーに転身。たけしさんは、そのまま事務所に残ったため、二人は別れることとなったのでした。

(たけしさんは、1988年には、「オフィス北野」を設立されています。)

ただ、決して、たけしさんときよしさんの仲が悪くなったわけではなく、たけしさんは、きよしさんを自分の番組のゲストに度々呼んで共演されており、

我慢強いきよしが相方だったおかげで、気の短い自分でも芸能界に残れた

と、きよしさんに感謝の言葉を口にされています。

Sponsored Link

「ツービート」復活

こうして、漫才コンビとしては長らく休止状態(解散はしていない)だった「ツービート」ですが、29年の時を経て、2014年4月1日付けで、きよしさんがたけしさんの芸能事務所「オフィス北野」に加入したことで、「ツービート」としての仕事がしやすくなり、「ツービート復活」と報じられます。

(近年、「たけし軍団」の若手のライブの前座で漫才を行うことはあったそうです)

2013年末、一緒にゴルフを楽しんでいた際、たけしさんがきよしさんに、「オフィス北野」に入らないかと誘われたそうで、

きよしさんが、

オレが(貧乏で)かわいそうだからって…本当は優しいんだ。2人で熟年技を見せたい

と、本気で感謝すると、

たけしさんは、

バカヤロー! どうしてお前はギャグで言わないの

と、強烈なダメ出し。

それでも、

ゴルフ番組とか一緒にやってもいいな

と、仲良しぶりをアピールされたのでした。

ちなみに、後日、「ツービート」として初仕事となる5月22日放送の「たけしの等々力ベース」の収録に臨んだ二人を直撃した「サンケイスポーツ」によると、

たけしさんは、

大型新人が入り込んじゃったよ

きよしさんは、

先輩、何でもやらさせていただきます

と、大喜びだったそうです♪

「ビートたけしのバイク事故は自殺だった?本人のコメントは?」に続く


ビートきよしさん(左)とたけしさん(右)。

Sponsored Link