酔っぱらい客から1万円を取り上げたことが大ウケした、ビートたけしさんですが、これをきっかけに、これまでの「正統派漫才」から、「暴走ネタ・危険ネタ漫才」へと路線を変更。ここから、たけしさんの快進撃が始まります。
「ビートたけしのビートきよし(兼子二郎)との出会いは?」からの続き
正統派漫才から暴走危険漫才にシフト
たけしさんが酔っぱらい客から1万円を取り上げたことがウケたのをきっかけに、次第に「松鶴家次郎・家二郎」は、これまでの「正統派漫才」から「暴走ネタ・危険ネタ漫才」へとシフトしていくと、
やがて、主導権も、「正統派漫才」を作っていたきよしさんから、「暴走ネタ・危険ネタ」のきっかけとなったたけしさんに移り、コンビ名も「ツービート (two beat)」に改名。
それに伴い、たけしさんは「ビートたけし」、兼子さんは「ビートきよし」に改名されます。
「B&B」の島田洋七の「高速漫才」を参考にしていた
そして、いつ頃かは不明ですが、やがて、お二人は、大阪の新進漫才師「B&B」の島田洋七さんの、
シンプルで間を減らしたテンポの速い「16ビートの漫才」
客を完全に飲み込み唖然とさせる漫才
を見て、衝撃を受けたそうで、
この手法を取り入れ、たけしさんがひたすら猛烈な勢いでしゃべり倒し、合間合間にきよしさんがツッコミを入れるという、「高速漫才」にシフト。
さらに、たけしさんは、「ジジイ」「ババア」「ブス」などの、差別用語、放送禁止用語など、これまで漫才ではタブー視されていた言葉を(開き直って)あえて取り入れるほか、頻繁にシモネタを入れたり、座布団の上に座って漫才をするなど、型破りな漫才をするようになったそうで、
たけしさんは、この時のことを、
バイトしながら、ビートきよしさんと漫才コンビ(ツービート)を組んで、そのうち演芸場が気に入ってくれて。ギャラが1日1000円で、支配人に100円やって、きよしさんが500円で俺が400円。きよしさんが多く取っていたことはこのあいだ知ったよ!
芸人になってのたれ死ぬのがロマンのひとつだと思っていたから、そういう意味で浅草は“死に場所”だった。でも、演芸場で「これがあの芸人かよ」と思って、早くここから出なきゃって思う一方、浅草で天下取っちゃおうって気持ちになった。
と、語っておられます。
「円鏡 VS ツービート」が好評を博す
こうして、勢いに乗った「ツービート」は、1975年には、ついに、「ライバル大爆笑!」でテレビ番組に初出演。
1979年11月には、「花王名人劇場」で、人気落語家・月の家円鏡さん(8代目・橘家圓蔵)の共演者に抜擢されると、
古典派から「邪道」と言われていた円鏡さんと、邪道漫才師だった「ツービート」の競演は、「円鏡 VS ツービート」と好評を博したのでした。
「ツービート」(たけしさん(左)ときよしさん(右))。
漫才ブームを巻き起こす
そして、このことがきっかけとなり、1980年には、漫才番組「THE MANZAI」に出演すると、「ツービート」は、「B&B」「紳助・竜介」「ザ・ぼんち」らとともに一躍人気を博し、漫才ブームと呼ばれる社会現象を巻き起こしたのでした。
ちなみに、「ツービート」の二人は、すでに30代に突入していたことから、他の漫才師たちと違って、アイドル的な人気がなかったことほか、テンポが速いマシンガントークと今でいう毒舌な漫才は、女性や高齢者には受け入れられず、若手サラリーマンや大学生ほか、新しい刺激やスタイルに敏感な世代にのみ支持されていたそうで、
後に島田紳助さんは、バラエティ番組「ダウンタウンDX」に出演された際、
実際は、「B&B」と「紳助・竜介」「ツービート」だけが新しいもので、他は既存のものであった。
と、語っておられます。
「ツービート」の漫才とは?
そこれではここで、改めて、「ツービート」の漫才ネタの特徴をご紹介しましょう。
たけしさんは、「ジジイ」「ババア」「ブス」「カッペ(田舎者)」「うんこ」「ヤクザ」「ガキ」などの言葉を頻繁にネタに使うほか、当時、社会問題となった「金属バット殺人事件」「深川通り魔殺人事件」などの時事性の高い話題をいち早くギャグに取り入れており、
これらのネタは、「残酷ギャグ」と批判を受けることもあったのですが、
たけしさんは、
たかが漫才師の言う事に腹を立てるバカ
と、ここでも舞台同様に毒舌で返しています。
さらに、
注意一秒ケガ一生、車に飛び込め元気な子
気をつけよう、ブスが痴漢を待っている
寝る前にちゃんと絞めよう親の首
赤信号みんなで渡れば怖くない
少年よ大志を抱け。老人よ墓石を抱け。
など、「毒ガス標語」と呼ばれるネタや、
「雪やコンコン」の替え歌として、
利子はどんどん、金利もじゃんじゃん
払っても払っても、まだ払いきれず
おやじはビルから飛びおり自殺
家族もみんなで首をつる。(過激童謡)
「桃太郎の替え歌」として、
桃太郎さん桃太郎さん
お腰しにつけた覚せい剤
ひとつ私にくださいな
あげましょう あげましょう
これからヤクザの出入りに
ついてくるならあげましょう(残酷童謡)
と、現在の「毒舌」とは比べ物にならないほど、毒舌すぎるネタを持ち味とされていました。
「ツービートのわッ毒ガスだ」でボロ儲け
また、たけしさんときよしさんは、1980年6月、ネタ本「ツービートのわッ毒ガスだ」を発売しているのですが、
当初、事務所は、せいぜい3万円程度の売上だろうと見込んでいたため、印税全額を二人が受け取る契約を結んでいたそうで、実際には、この年、約85万部売り上げ、二人のもとには大金が転がり込んできたそうです♪
「ビートたけしの若い頃は?たけし軍団は野球チームだった?」に続く
https://www.youtube.com/watch?v=07p5UXacYo4