1994年8月2日の深夜、原付バイクで東京都新宿区の安鎮坂付近を走行中、ガードレールに激突し、重傷を負うも、九死に一生を得た、ビートたけしさんですが、その事故の第一発見者は、諸星和己さんだったといいます。そこで、今回は、諸星さんが事故を発見した時の状況やお二人の知られざる絆についてご紹介します。

「ビートたけしのバイク事故は自殺だった?本人のコメントは?」からの続き

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事故の第一発見者は諸星和己だった

ところで、たけしさんのこの事故の第一発見者は、元光GENJI諸星和己さんだったそうです。

実は、当時、このことは明らかにされていなかったのですが、2014年、たけしさんが、

実はあんまり覚えてねぇんだよなぁ、どこで事故ったかは。でも、そういえば、オレのことを諸星が見つけてくれたんだよな、たしか。

と、明かされたのです。

諸星和己と師弟のような関係

というのも、たけしさんは、1980年代後半、「光GENJI」として活躍していた諸星さん(当時20代前半)と、仕事がある日もない日も毎日のように会い、諸星さんの自宅にもしょっちゅう行くほど仲が良かったそうで、とにかく、いつも一緒にいたというのです。

(双方の恋愛事情も知り尽くしているそうで、そのほとんどが口外できないものばかりのため、お互い、墓場まで持っていこうと密約を交わしているほどだとか♪)

ちなみに、諸星さんによると、ある日のこと、たけしさんが、電話で浅草のストリッパーを3人くらい呼び、諸星さんが照明係をやらされたそうで、たけしさんは、のんびりストリップを楽しんでいたそうですが、

時間が経って嫌気が差し、

もういい加減にしてください

と言うと、

ストリップは別に見たくてやっているわけじゃない。いいか、照明は正面から当てるとよく見えるだろ? でもよ、別の方向から当てると、どうだ、違って見えないか?

それと同じなのよ。お前の人生も、たまには後ろや別の角度から当ててみろ。違って見えるぞ。

と、人生について、さらりと語ってくれたこともあったのだそうです。

当時、諸星さんは、芸能界を辞めようかと悩んでいた時期だったそうで、たけしさんからは、こんな励ましも受けていたのでした。

倒れている人間がたけしとは気づかず救急車を手配

そして、あの事故が起こった当日。

諸星さんは、この日の夜も、たけしさんに会いに行こうと思っていたそうですが、仕事が長引き、終わったのはすでに深夜。さらに、事故渋滞にハマってしまったそうです。

この事故現場で、諸星さんは、人間がうつ伏せに倒れている姿を目撃します。

当時、携帯電話はなかった時代だったのですが、スーパーアイドルだった諸星さんの車には移動式電話が設置してあったため、その移動式電話を使って、後続のタクシー運転手に救急車を呼んでもらったそうで、

まさか、倒れている人間がたけしさんとは思わなかった諸星さんは、その場を立ち去ったのだそうです。

しかし、翌朝、ワイドショーで、あの事故で倒れていた人間がたけしさんだったことを知り、当時、所属していた「ジャニーズ事務所」のスタッフから、

たけしさんが死にました……

と、電話で告げられ、目の前が真っ暗になったといいます。(もちろん、それは誤報だったのですが)

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諸星和己の単身渡米はたけしに背中を押されて

ところで、そんなお二人の友情はその後も続いたそうで、1995年に「光GENJI」が解散した後、諸星さんが「ジャニーズ事務所」を辞めて、活動拠点を米国ニューヨークに移したのも、たけしさんに背中を押してもらってのことだとか。

というのも、諸星さんは、随分前から、芸能界からのセミリタイアを考えていたそうで、いざ「光GENJI」が解散した時、色んな人に相談するも、誰もが猛反対。

そんな中、たけしさんだけがたった一人、賛成してくれたというのです。

事故で倒れているたけしさんを、最初に諸星さんが発見したのは、二人の強い絆がそうさせたのかもしれません。

「ビートたけしは昔フライデーを襲撃していた!その理由とは?」に続く


たけしさんとの想い出について語る諸星さん

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