西城秀樹さんとは、人目もはばからず、結婚されるのではないかと思われるほどの真剣交際をするも、突然、破局された、十朱幸代(とあけ ゆきよ)さん。今回は、そんなお二人の破局理由についてご紹介します。

「十朱幸代は西城秀樹と結婚間近の真剣交際していた!」

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破局理由は双方の家族の反対?

結婚間近と言われながら、突然、破局となった十朱さんと西城秀樹さんですが、気になる破局の原因は、十朱さんの家系が江戸時代の幕臣だったため、それ相応の家柄でなければ結婚を許さない、という十朱さんの親族の反対のほか、

(※幕臣とは徳川幕府の臣下のうち、1万石未満の禄(給与)を与えられた、旗本および御家人と呼ばれる身分の者をいうそうです)

西城さんのおばあさんが、

孫を産めぬ嫁はいらん

と、言ったなど、

双方の親族による反対があったと言われていました。

破局の真相は?

とはいえ、ご本人たちが明かしたものではなかったのですが、2019年、十朱さんがインタビューで、

過去の恋人とも何度も結婚の話は持ち上がったんです。でも、いつも私が決断できなかった。年下の彼(西城さん)と恋していた時は、ある程度のキャリアも積んで心や時間の余裕も生まれていた時期だったので。家庭を作ることに人生を費やすのも良いなと。

2人の中では「結婚しましょう」と約束していたんですけど、年齢差もあって周囲は大反対。それでも、一時は突き進もうとマスコミ向けの婚約会見まで準備していたんですけど、私の覚悟が決まらず、1週間前にキャンセルしてもらって。その時から彼との距離が少しずつ開いていって、最終的には私から別れを選びました。

と、年齢が理由で、周囲の猛反対にあったことを明かされ、

別のインタビューでも、

(別れの決断をしたのは十朱さんなのか、というインタビュアーの問に)ええ。私は40代半ば。子供ができないかもしれない年齢に差し掛かっていたから、もし、できなかったら彼に申し訳ないなと。

若い彼から子育てする楽しみを奪ってしまうのは心苦しい。そんな本音を彼に直接話したわけじゃないけど、結局、私の覚悟が足りなかったから終わってしまったんだろうなと。でも、その後振り返っても、あの決断は間違っていなかったと思っています。

と、年齢が理由で周囲に猛反対されたうえ、出産できる年齢ではなかったことが一番の理由だったことを明かされたのでした。

ただ、某芸能記者によると、特に西城さんのお姉さんが、「親が孫の顔を見られない」と、十朱さんとの結婚に猛反対したとのことで、十朱さんは、この状況に参ってしまった西城さんを見るのが辛く、自ら別れを切り出されたのかもしれません。

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自叙伝「愛し続ける私」の発売記念イベントで西城秀樹について言及

また、十朱さんは、2018年5月に西城さんが「脳梗塞」で他界された際には、マスコミからコメントを求められるも応じられなかったのですが、

2018年10月、初の自叙伝「愛し続ける私」の出版記念イベントを都内で行われた際には、

(破局後は)たまたま目にしても切り替えて見ないようにしていた

遠くから拝見すると素敵な家庭を持たれ、ご病気になられたのも聞いて驚いた

お別れしてからお目にかかってないが(訃報に接し)心の中で“さよなら”と言いました

と、言及されているほか、

周りはみんな反対だった。その時私は50歳手前で、子供のことなどを考えると、押し切ってまでという自信がなかった

と、西城さんとの結婚に踏み切れなかった理由を明かされたのでした。

(自叙伝「愛し続ける私」では、相手家族やファンの心情を考慮して西城さんの名前は伏せられているのですが、過去の恋愛が赤裸々に綴られており、十朱さん自身が、相手が西城さんであることを暗に認められています)

「十朱幸代は両足首移植の大手術で車椅子生活だった!」に続く

愛し続ける私

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