史上最年少で「ミスター・ユニバース(アマチュア)」のチャンピオンになった、アーノルド・シュワルツェネッガー(Arnold Schwarzenegger)さんですが、更なる高みを目指し、トレーニングを重ねていきます。

「シュワルツェネッガーは史上最年少でMr.ユニバースになっていた!」からの続き

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ワールドチャンピオンを目指しトレーニングを開始

新たな強敵・デニス・ティネリーノさんを破り、見事、「ミスター・ユニバース(アマチュア)」に輝いたシュワルツェネッガーさんですが、

世界は広く、まだまだ多くのライバルたちがしのぎを削り、打ち破らなければならないコンテストがあると、

これらのすべてに勝ち、しかもそれに勝ちつづけて、はじめてグランド・チャンピオン「ミスター・ワールド」になるのだ

と、ドイツ・ミュンヘンに帰るやいなや、今度は、ワールド・チャンピオンを目指して、再び猛烈なトレーニングを開始。

過去、多くのチャンピオンが誕生するも、ひとつの目標を達成してしまうと、敗北を嫌い、コンテストから引退してしまうケースが多かった中、シュワルツェネッガーさんは、「世界一の男になる」という、さらなる高みを目指し、それまで以上にハードなトレーニングを自らに課していきます。

ちなみに、後に、シュワルツェネッガーさんは、

今や、世界にミスター・ユニバースの名のつくものは1つだけではない。つまり何人ものミスター・ユニバースが毎年誕生している。だから、これらのコンテストすべてに勝ち、しかもずっと勝ち続けてこそ、真のワールド・チャンピオンなのだ。

小さな地方コンテストで優勝するなんてことは、まったくチッポケなことでこんなことは何の価値もない、とるに足らないことさ。

と、語っており、非常に意識が高かったことがうかがえます。

「ストーン・リフティング」でも優勝

また、シュワルツェネッガーさんは、「ミスター・ユニバース(アマチュア)」のチャンピオンになって間もなくの頃、ドイツに古くからある、石を持ち上げる「ストーン・リフティング」という競技でも、従来の記録を破って優勝されており、

この快挙により、それまで信じられていた「ボディビルは筋肉はあっても、実際にはそんなに力はない」という迷信を吹き飛ばし、ボディビルダーは力があることを証明されています。

「ミスター・ユニバース」(プロの部)でも優勝

そんなシュワルツェネッガーさんは、1968年に入ると、次は、「ミスター・ユニバース(プロ)」の優勝を目指し、ダブルスプリットルーティーン(筋トレを1日2回するトレーニング)で1日2~3時間の猛烈なトレーニングを続けたそうで、

仲間たちからは「やり過ぎだ!」と言われるも、笑って、さらにハードなトレーニングを続け、同年には、見事、「ミスター・ユニバース(プロ)」でもチャンピオンに輝いたのでした。

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ジョー・ウィダーに誘われ所持金20ドルで渡米

その後、すぐに、シュワルツェネッガーさんは、アメリカの大手食品会社「ウィダー」の創業者で、「Muscle and Fitness」誌の編集者でもある、ジョー・ウィダーさんから誘われ、「IFBB(国際ボディビルディング連盟)ミスター・ユニバース」に参加するため、かねてより憧れていたアメリカへ行くことを決意。

(ちなみに、「ウイダーinゼリー」は、森永製菓がこの「ウィダー社」と事業提携をし、独自に開発した商品だそうです)

渡米時は、シュワルツェネッガーさんは、所持金たった20ドルで、ジムバックと幾つかのトレーニング着しか持っていなかったそうですが、

ジョーさんは、小さなアパートの部屋を与えてくれ、「ゴールド・ジム」(現在のワールドジム)でのトレーニングの機会も与えてくれ、

さらに、感謝祭の日には、「ゴールド・ジム」のボディビルダーたちが、シュワルツェネッガーさんのアパートに家財道具などを持ってきてくれるなど、みんな、とても親切にしてくれたそうで、

シュワルツェネッガーさんは、今でも、この時の白黒テレビやトランジスターラジオを、ベッド脇のテーブルに置き、大切にとってあるそうです。

(「ゴールドジム」は、ミスターワールドやミスターユニバースのチャンピオン、オリンピックのチャンピオンなどがトレーニングをしている場所で、アマチュアのチャンピオンからプロのチャンピオンになろうとするシュワルツェネッガーさんを助けてくれたそうです)

「シュワルツェネッガーは「黒い魔神」セルジオ・オリバに破れていた!」に続く

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