お父さんとの交流が途絶えたことがきっかけで、孤独な幼少期を送るも、小学校に上がると、友達ができたことに加え、学芸会で「オズの魔法使い」のライオン役を演じて、演じることの楽しさに目覚め、お母さんの勧めでドラマのワークショップにも通うことになった、ロバート・デ・ニーロ(Robert De Niro)さんですが、やがて、地元のストリートギャングとつるむようになると、ワークショップも辞め、学校も無断欠席するようになったそうです。
地元のストリートギャングと付き合うようになっていた
学芸会で「オズの魔法使い」のライオン役を演じ、演じる楽しさに目覚めたデ・ニーロさんは、10歳の頃、お母さんの勧めにより、ドラマのワークショップ(土曜日の青年クラス)に通い始めるのですが、
13歳の時、突然、ワークショップを辞めてしまうと、さらには、学校も無断欠席をするようになり、その後、中退してしまいます。
そんな息子を、なんとか立ち直らせようと焦ったお母さんは、デ・ニーロさんを進歩的な学風で知られる私立の学校に転校させるのですが・・・
この頃、デ・ニーロさんは、地元のストリートギャングと付き合うようになっていたそうで、お母さんの願いも虚しく、私立の学校に転向した後も、デ・ニーロさんが見違えるように変化することはなかったそうです。
ステラ・アドラーのもと演劇の勉強を始め、劇場に通うように
そんなデ・ニーロさんは、14歳の時には、演劇学校「ステラ・アドラー・コンサヴァトリー・アクティング」(現・「ステラ・アドラー・スタジオ」)に入学し(今度は初心者クラスに入ったそうです)、再び、演技の勉強を始めたそうですが、
デ・ニーロさんが10~13歳まで通っていたドラマのワークショップは、演劇ではなく、どちらかというと、映画のための演技の勉強で、演劇はほとんど観ていなかったそうですが、
「ステラ・アドラー・コンサヴァトリー・アクティング」に通うようになり、映画館ではなく、劇場に足を運ぶようになると、16歳の時、デニス・ホッパーさん主演の舞台「マンディンゴ(Mandingo)」を観て、舞台(演劇)に魅了されたのだそうです。
ストリートギャング仲間から「ボビー・ミルク」と呼ばれていた
ちなみに、デ・ニーロさんは、地元のストリートギャングと付き合うようになっていたとはいえ、痩せて青白い顔をしていたことから、仲間からは、「ボビー・ミルク」というあだ名で呼ばれていたそうで、
いつも、本を小脇に抱え、ストリートギャングとは思えないほど内気で、しばしば、仲間の前から突然姿を消しては、独りで本を読んでいるところを、探しに来た仲間たちに発見されていたのだそうです。
「ロバート・デ・ニーロはデビュー作のオーディションでパニックに陥っていた!」に続く