「ザ・スパイダース」解散後、俳優業や音楽活動と並行し、司会者としての才能も開花した、井上順(いのうえ じゅん)さんは、1976年から1985年まで、約9年半に渡って、芳村真理さんと共に音楽番組「夜のヒットスタジオ」の司会を担当しているのですが、芳村さんとの絶妙なコンビネーションで同番組の黄金時代を築きました。

「井上順が若い頃は「お世話になりました」が大ヒットしていた!」からの続き

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「夜のヒットスタジオ」の3代目司会者に

「夜のヒットスタジオ」は、もともと、放送開始当初(1968年~1976年)は、バラエティ色の強い「歌謡バラエティ」番組だったのですが、

ロック・アーティストや海外のアーティスト、歌なしのフュージョンバンドなどが出演に消極的だったこともあり、1976年4月からは、バラエティ性の強いコーナーを打ち切り、司会者のトークと歌手(歌)を重視した、本格的な音楽番組に方向転換。

そこで、それまで約2年間司会を担当した三波伸介さん(2代目)に代わり、井上さんが、3代目司会者として、芳村真理さんのパートナーに起用されます。

(「夜のヒットスタジオ」は、芳村さんを軸に男性司会者(パートナー)が交代する、という形をとっていたそうです)


「夜のヒットスタジオ」より。井上さんと芳村真理さん。

「夜のヒットスタジオ」抜擢の理由とは

というのも、井上さんは、「夜のヒットスタジオ」に出演するより前から、「ゴールデン歌謡速報」(1972~1973)、「火曜歌謡ビッグマッチ」(1973~1974)、「ベスト30歌謡曲」(1975~1976)などの歌番組で司会を務めていたこと、

また、歌謡歌手以外の歌手にも出演してもらうため、ミュージシャンでもある井上さんの意見を取り入れたいこと、

そして、「ザ・スパイダース」で同僚だった堺正章さんが、ライバル番組「紅白歌のベストテン」で、この時、すでに8年近くも司会を担当していたことなどもあり、井上さんが抜擢されたのだそうです。


「夜のヒットスタジオ」より。井上さんと芳村真理さん。

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芳村真理と絶妙なコンビで番組の黄金時代を築く

そんな井上さんは、一回り(12歳)上の芳村さんに対し、年上の姉にちょっかいを出す弟という雰囲気で司会を進行しつつ、オヤジギャグの連発や、芳村さんへの茶化し、奇妙なアクションで、番組を明るく盛り上げると、

芳村さんもまた、そんな井上さんの暴走を止め(または、さらりと受け流し)、番組の進行を本筋に戻していくというスタイルが定着。

(また、井上さんは、時々、芳村さんが困るような質問をして芳村さんを慌てさせ、その様子を見て、さらに茶化すということもあったそうです)

その息のピッタリ合った絶妙なコンビネーションで、番組の黄金時代を築いたのでした。

(芳村さんにとっては、初代男性司会者が前田武彦さん、2代目が三波伸介さんと、いずれも年上で、年下は井上さんが初めてだったそうです)

「井上順が「夜ヒット」降板後芳村真理と30年疎遠だった理由とは?」に続く


「夜のヒットスタジオ」より。(クリックでyoutube)

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