「ザ・スパイダース」解散後、俳優業や音楽活動と並行し、司会者としての才能も開花すると、1976年から1985年まで約9年半に渡って、芳村真理さんと共に音楽番組「夜のヒットスタジオ」の司会を担当し、芳村真理さんとの絶妙なコンビネーションで同番組の黄金時代を築いた、井上順(いのうえ じゅん)さん。
今回は、そんな井上順さんの、「夜のヒットスタジオ」の司会に抜擢された理由と降板理由、降板後、芳村真理さんとは30年も疎遠だった理由など、「夜のヒットスタジオ」にまつわるエピソードについてご紹介します。

「井上順はかまやつひろしにスパイダース時代(デビュー当時)守られていた!」からの続き
井上順は29歳の時に芳村真理と絶妙なコンビで「夜のヒットスタジオ」の黄金時代を築いていた
井上順さんは、1976年、音楽番組「夜のヒットスタジオ」の3代目司会者に抜擢されると、
相方である、一回り(12歳)上の芳村真理さんに対し、年上の姉にちょっかいを出す弟という雰囲気で司会を進行しつつ、オヤジギャグを連発し、芳村真理さんを茶化し、奇妙なアクションで、番組を明るく盛り上げると、
(また、井上順さんは、時々、芳村真理さんが困るような質問をして芳村真理さんを慌てさせ、その様子を見て、さらに茶化すこともありました)
芳村真理さんもまた、そんな井上順さんの暴走を止め(または、さらりと受け流し)、番組の進行を本筋に戻していくというスタイルが定着し、その息のピッタリ合った絶妙なコンビネーションで、番組の黄金時代を築きました。
(芳村真理さんにとっては、初代男性司会者が前田武彦さん、2代目が三波伸介さんと、いずれも年上で、年下は井上順さんが初めてでした)

「夜のヒットスタジオ」より。井上順さんと芳村真理さん。
井上順が「夜のヒットスタジオ」に起用された理由とは?
ちなみに、「夜のヒットスタジオ」は、もともと、放送開始当初(1968年~1976年)は、バラエティ色の強い”歌謡バラエティ番組”だったそうですが、
ロック・アーティストや海外のアーティストのほか、歌なしのフュージョンバンドなどが出演に消極的だったこともあり、1976年4月からは、バラエティ性の強いコーナーを打ち切り、司会者のトークと歌手(歌)を重視した、本格的な音楽番組に方向転換。
そこで、
- 「ザ・スパイダース」で同僚だった堺正章さんが、ライバル番組「紅白歌のベストテン」で、この時、すでに8年近くも司会を担当していた
- 歌謡歌手以外の歌手にも出演してもらうため、ミュージシャンでもある井上順さんの意見を取り入れたかった
- 井上順さんは、「夜のヒットスタジオ」に出演するより前から、「ゴールデン歌謡速報」(1972~1973)、「火曜歌謡ビッグマッチ」(1973~1974)、「ベスト30歌謡曲」(1975~1976)などの歌番組で司会を務めていた
などが重なり、
それまで約2年間、(2代目)司会を担当していた三波伸介さんに代わり、井上順さんが3代目司会者として、芳村真理さんのパートナーに起用されたといいます。
(「夜のヒットスタジオ」は、芳村真理さんを軸に男性司会者(パートナー)が交代する形をとっていました)

「夜のヒットスタジオ」より。井上さんと芳村真理さん。
井上順は「夜のヒットスタジオ」の殺伐とした現場で出演歌手をリラックスさせていた
こうして、井上順さんは、年上の姉にちょっかいを出す弟というスタイルで、芳村真理さんと共に、「夜のヒットスタジオ」を明るく盛り上げていたのですが、実は、歌手をリラックスさせるという役割も果たしていたといいます。
というのも、当時、「夜のヒットスタジオ」の現場は、スタッフが本番中でもスタジオを走り回り、怒号が飛び交うという、殺伐(さつばつ)とした雰囲気だったそうで、
(その現場の厳しさは、業界内でも有名だったそうです)
特に初出演の歌手などは、完全に萎縮(いしゅく)してしまい、緊張のあまり、本来の力が発揮できないことがしばしばあったというのです。

「夜のヒットスタジオ」より。(左から)井上順さん、松田聖子さん、芳村真理さん。
井上順が「夜のヒットスタジオ」を降板した理由とは?
そんな井上順さんと芳村真理さんは、お互いのキャラクターを活かした絶妙なコンビネーションで、黄金コンビとして安定した人気を誇っていたのですが、
やがて、歌と司会者のトークを中心に番組が進行していくというシンプルなスタイルがマンネリ化し、飽きられ始めたことから、
1985年春には、マンネリ化を打開すべく、これまで15年以上も月曜22時枠だった放送が、水曜日21時からの「夜のヒットスタジオデラックス」(2時間放送)に変更されるなど、新体制がスタートすると、
そのわずか約半年後の1985年9月には、井上順さんが、
一つのものだけを長くやっているのは、逆に自分の可能性を縮めているのではないか
との理由から、降板しています。
(井上順さんが、無断でお菓子のCMに出演したため、事務所とトラブルになり、芸能活動を一時セーブしなければならなかったとも言われていますが、真偽は不明です)
芳村真理は井上順の最後の「夜のヒットスタジオ」で号泣していた
ちなみに、芳村真理さんは、井上順さんの最終日のエンディングでは、去っていく井上順さんを惜しんで号泣し、番組進行どころではなくなっているのですが、
芳村真理さんいわく、
年の離れた弟が親元を離れて自分の所帯を持つようになった
という感覚で、井上順さんを番組から送り出していたといいます。
また、井上順さんも、後に、芳村真理さんについて、
これまで一緒に仕事をしてきた人の中で一番許容できる幅が広い人。分け隔てなく手を差し伸べるところが凄かった。大切な10年間をありがとう
と、語っており、
二人がとても強い信頼関係で結ばれていたことが伺えます。

「夜のヒットスタジオデラックス」より。井上順さんと芳村真理さん。
井上順が「夜のヒットスタジオデラックス」降板後、芳村真理と30年疎遠だった理由とは?
そんな井上順さんと芳村真理さんですが、井上順さんが「夜のヒットスタジオデラックス」を降板して以降は、共演の機会が長い間なく、”共演NG”と噂されたこともありました。
ただ、2017年、バラエティ番組「爆報!THEフライデー」では、約30年ぶりの再会を果たすと、熱いハグを交わしています。

「爆報!THEフライデー」で熱いハグを交わす芳村真理さんと井上順さん。
ちなみに、井上順さんは、長い間、芳村真理さんと共演がなかったことについて、
ボクね、今、難聴なんですよ。これ(補聴器)を入れないと生活できないんですよ
と、「感音性難聴」であることを告白しており、
出演者が多いバラエティ番組などでは、音が遅れて聞こえたり、誰がしゃべっているのか分からなかったことから、大好きなバラエティ番組への出演を避けるようになっていたそうで、
決して共演NGではなかったようです。

「爆報!THEフライデー」で、約30年ぶりに再会を果たした芳村真理さんと井上順さん。
「井上順にとって森光子は恩師であり心を許し合える仲間だった!」に続く
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1969年、22歳の時、テレビドラマ「もうれつ大家族」で俳優デビューして以来、司会、タレント、歌手としても活動しつつ、俳優としても活動を続けている、井上順(いのうえ じゅん)さんですが、 この「もうれつ大家族」で、森光子 …







