「仮面ライダー」のオーディションでは、応募者3786人の中から、見事、主人公・筑波洋役に選ばれた、村上弘明(むらかみ ひろあき)さんですが、ズブの素人だった村上さんは、撮影が開始すると、戸惑うことばかりだったといいます。

「村上弘明は当初「仮面ライダー」のオーディションを嫌がっていた!」からの続き

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「仮面ライダー」の撮影は戸惑うことばかりだった

あれよあれよと、「仮面ライダー」の主人公・筑波洋役に選ばれると、演技経験もないうえ、バイクも乗れないまま、撮影現場に入った村上さんですが、

撮影前は、「仮面ライダー」は子供番組なので、若い人たちが作っているものと思い込んでいたそうで、カメラマン、スタッフと、みな白髪のおじいちゃんばかりだったことに驚いたそうです。

(もしかすると、40~50代だったかもしれないとのことですが、当時、20代前半の学生だった村上さんには、みんな、おじいちゃんに見えたそうです)

また、撮影は、台本の流れ通りに撮るわけではなく、段取りごとに、後半を先に撮るなど順番が違っていたため、自分が今、どのシーンを撮影しているのか分からなかったそうで、かといって、周囲が怖いおじいちゃんばかりだったため、聞くに聞けず、ただただ、言われた通りに演じていたのだそうです。

(それでも、怒られたり、怒鳴られたりすることがあったため、撮影所に行くのが怖く、「早く終わらないかなぁ」などと考えていたそうです(笑))

プロ意識が芽生え始める

そんなある日のこと、変身後の仮面ライダーはスタントマンがやっていたため、自分の出番が終わった村上さんが帰ろうとすると、「アフレコもあるし、現場にいて動きを見てほしい」と言われ、仮面ライダー変身後も、撮影に同行することになったそうですが、

(都内からロケバスに乗って1時間ぐらいかけて地方に行ったそうです)

自分が出ていないシーンの撮影を見ているうちに、ドラマ作りの現場の雰囲気が徐々に体に浸透していくようになるほか、「大野剣友会」のスタッフと仲良くなり、その中でも特に、スカイライダーのスーツアクターだった中屋敷哲也さんや殺陣師の岡田勝さんとは、自宅に泊めてもらうほどの仲になったそうで、セリフを言うタイミングなども教えてもらったそうです。

(中屋敷さんには、自宅から撮影所まで車で連れて行ってもらった際、「主役を事故にあわせず送り届けなければならないから緊張する」というようなことを言われたことがあったそうで、村上さんは、この言葉に、自分が番組を背負っているんだという自覚や、プロ意識も芽生えていったそうです。)

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「仮面ライダー」で俳優デビューしたことを両親に内緒にしていた

そんな村上さんですが、「仮面ライダー」でデビューした当時(大学生)、テレビドラマの撮影についてはまだ何も知らなかったため、30分の子供番組なら、大学に通う合間に撮影できるだろうと、勝手に思っていたそうで、

マネージャーにその話をしたところ、

何を言ってるの、大学なんか行けないよ? 休学届を出しなさい

と、言われたことから、

教職を取ることを条件に上京し、両親に内緒で仕事をしていた村上さんは、とても焦ったそうです。

そして、そうこうしているうちに、「仮面ライダー」の放送が始まると、近所の人から伝えられて、テレビに出ていることが、両親の知るところとなってしまい、「なにやってるんだ!?大学はどうした」と、問い詰められたそうで、

「1年間の契約の仕事なのでやらざるを得ない」と両親を説得したところ、それが終わったら大学に戻るように言われたそうですが、

「仮面ライダー」の撮影終了後も仕事が続いていたため、少し大学に通っては休学という状態を何度か繰り返し、結局、大学は中退することになったのだそうです。(時代劇「必殺仕事人V」(1985年)の撮影に入る少し前のことだったそうです)

「村上弘明は20年間「仮面ライダー」に出演できなかった!」に続く

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