1960年、「漫画トリオ」で漫才師としてデビューすると、2000年に引退するまで、立て板に水のような流暢な話術と毒の効いたユーモアで人気を博した、上岡龍太郎(かみおか りゅうたろう)さん。今回は、そんな上岡さんの生い立ちについてご紹介します。

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年齢は?出身は?身長は?学歴は?

上岡さんは、1942年3月20日生まれ、
京都府京都市左京区の出身、

身長165センチ、

血液型はAB型、

学歴は
京都市立第四錦林小学校入学
⇒京都市立近衛中学校
⇒大阪市立西高校卒業

(上岡さん本人は、「私の最終学歴は‘立命館大学受験失敗’です」と語っています)

趣味は、
映画・演劇鑑賞、ゴルフ、文筆、古代史だそうです。

本名は?芸名の由来は?

上岡さんの本名は、「小林龍太郎(こばやし りゅうたろう)」なのですが、婿養子だったお父さんの旧姓「上岡」を取って「上岡龍太郎」としたそうです。

また、旧芸名は「横山パンチ」「伊井パンチ」です。

父親は社会的弱者の弁護士だった

上岡さんのお父さん・小林為太郎(こばやし ためたろう)さんは、京都において、在日朝鮮人の権利擁護をしていた有名な弁護士だったそうで、

能勢克男弁護士とともに、京都市民・労働者・学生・農民・在日朝鮮人などに対する弾圧、人権抑圧に関わる諸事件を一手に引き受けていたそうで、京都だけではなく、滋賀県、福井県でも活動していたそうです。

父親は苦学の末に弁護士になっていた

そんなお父さんは、高知県土佐清水・下川口の貧しい家庭に生まれ育ったそうですが、地元の学校(中学か高校かは不明)を卒業後、ある日、畑仕事をしていると、突然、「勉強したい」と思い立ち、それからというもの、勉強に励み、苦学の末、京都大学の法学部に入学したそうで、

(上岡さんによると、お父さんは、実家が貧乏だったため、貧乏人がお金持ちに対抗するには知恵しかないと思ったのではとのこと)

大学卒業後は、司法試験を2回不合格となるも、3回目で合格し弁護士となると、やがて、縁談が持ち上がり、資産家の養女で高学歴だった、小林タマさん(上岡さんのお母さん)と結婚したそうです。

(奨学金をもらっていたものの、それだけでは足りず、朝、新聞配達と牛乳配達をしてから大学へ行き、授業が終わると、夕刊を配ってから家庭教師をし、それから自分の勉強をしていたそうです)

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幼少期から母親に英才教育を受けるも芸能に憧れていた

そんな両親のもと、上岡さんは、2人姉弟の長男(4歳年上の姉)として誕生するのですが、お母さんが教育熱心だったことから、小学校に上がる前からお母さんに、漢字、ローマ字、簡単な英単語を教えられ、電車に乗った時には、窓から見える建物の看板に書かれている文字を読まされていたそうで、

まだ5歳の子供が次々と漢字の書かれた看板を読むことに周りの人が驚くと、お母さんは、それが嬉しく、得意げだったそうで、上岡さんはお母さんの自慢の息子だったそうです。

ただ、上岡さん本人はというと、勉強よりも、香具師(やし…祭礼や縁日など人の多いところで見世物などの芸を披露する人)や芝居・歌舞伎・映画に夢中で、将来は、芝居役者になりたいと憧れていたそうで、お母さんはあまりいい顔をしなかったそうです。

「上岡龍太郎が若い頃は浜村淳に弟子入りを懇願していた!」に続く

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