弁護士のお父さんと資産家の娘で教育熱心だったお母さんのもと誕生すると、お母さんから英才教育を受け、5歳で看板の漢字が読めるほど優秀な子供だったという、上岡龍太郎(かみおか りゅうたろう)さんですが、12歳の時にお母さんが他界したことで、人生が大きく変わります。

「上岡龍太郎の生い立ちは?幼少期から芸能に憧れていた!」からの続き

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12歳の時に母親が他界

小学校へ上る前から、教育熱心なお母さんに英才教育を受け、5歳にして、ひらがなはもちろん、漢字やローマ字まで読めるようになっていたという上岡さんですが、小学6年生(12歳)の時に、お母さんが乳ガンで他界すると、

お父さんから、

若い時の苦労は買ってでもせえというが、あれはうそや。人生は楽に行け

と、言われたそうで、

(お母さんに無理やりさせられていた)勉強をやめると、小学校時代、トップクラス(中学入学時700人中10番台)だった成績が、1学期が終わる頃にはガタ落ちしたそうです。

(ちなみに、お父さんは、その後、24歳の女性と再婚し(上岡さんの異母妹が誕生)、1985年、77歳の時、唯一の趣味だったという、お酒をちびちび飲みながら相撲中継を観ていた中、亡くなったそうです。(家族が気がついた時にはうつ伏せになっていて、すでに息がなかったそうです))

浜村淳に弟子入りを志願するも断られる

そんな上岡さんは、高校生の時、ロカビリーが大流行し、感化されたそうですが(エルビス・プレスリーの大ファンだったそうです)、

1959年、17歳の時には、当時、東京に進出していた浜村淳さんに弟子入りを志願。

ただ、浜村さんからは、「まだ弟子とる身分やないから」と断られ、大学受験を勧められたそうで、

同じ落ちるのならレベルの高い大学を受験しよう

と、立命館大学を受験し、不合格となったそうです。

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「田川元祥&リズムワゴンボーイズ」に加入

その後も、上岡さんは、浜村さんに弟子入りさせてもらおうと、しつこく食い下がり、浜村さんからは断られ続けていたそうですが、

ある時、浜村さんが、知り合いのバンドで、関西で1、2を争う人気のロカビリーバンド「田川元祥&リズムワゴンボーイズ」を紹介してくれたそうで、

1959年、上岡さんは、「田川元祥&リズムワゴンボーイズ」に加入すると(本名の「小林龍太郎」名義)、バンドの司会を務めたのでした。

(この時、上岡さんは、翌年、「漫画トリオ」を一緒に結成することになる、ドラマーの轟盛次(横山フック)さんと知り合ったそうです)

「上岡龍太郎は昔「横山パンチ」名義で横山ノックと「漫画トリオ」でブレイク!」に続く

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